青子頭巾ちゃん


 『 青子頭巾ちゃん 』




 むかしむかし、ある森と森の中間点にある場所に、「なかもり」さんという親子が住んでいました。
 中森さんのうちは父親と娘の二人暮らしです。だと思います。たぶん。
 ある日のことです。仕事に出かける前におとうさんが、娘に言いました。

「青子、すまないがあっちの森にいるおばあさんのお見舞に行ってきてくれないか。わしは最近忙しくて、なかなか時間が取れんのだよ」
「うん、わかった。青子に任せて!」

 青子と呼ばれて青子と称した娘は、握り拳を作って意気揚揚と答えました。やる気満々です。さっそくお見舞いに行くための準備を開始します。お菓子作りを始めました。甘いやつです。おおっと、お父さんに渡すお弁当も忘れてはいません。
 ちなみに「おばあさん」というのは血縁関係があるわけではなく、単に森の奥に一人で住んでいる、若干離れてはいるけれど、ご近所さんともいう人です。治安のために、一人暮らしの老人を気にかけることもまた、中森さんの仕事のうちなのです。福祉です。
 さて、そんなこんなで準備が整ったところで、青子はお気に入りの赤い頭巾をかぶってお出かけです。カギもちゃんとかけます。お父さんは泊まりでお仕事なので、余計に用心が必要なのです。
 青い空の下、森へと続く道をトコトコ歩きます。のどかです。緑萌ゆる草木が初夏の柔らかな風に揺れ、さわさわと音を奏でます。美しい自然界のメロディーを耳で受け、総天然色といった風景が視覚にも美しい、なんとも自然豊かな風景です。つまり要するに「田舎」なのですが、そこはまあ「牧歌的」と称しておきましょう。時折、牛も鳴いてますし。
 太陽はまだ頂点にあるので、森の中に入っても、まだまだ全然明るいです。むしろ木漏れ日が揺れる様子は楽しくさえあります。小鳥の声もピーチクパーチク聞こえます。楽しいです。るんたったーと、思わず歌いだしたくなります。
 そんな少女をこっそり見ている影がありました。影──というか暗がりに隠れているから影っぽく見えるだけで、実際は人間です。青子と同じくらいの少年です。
「なにしてんだ、あいつ」
 のほほんとしている青子に、眉をひそめて呟きました。ひょっこり、大きな耳がそれに合わせて垂れます。
 耳?
 そう、耳があります。猫耳? 嗚呼、惜しい! 猫っていうか犬っていうか、彼は狼なのです。いえ、「男はみんな狼なのさ」とかそういうことではなく──彼に関していえば、あながち間違っているわけでもないように思いますが──、彼は狼なのです。人間の姿に耳としっぽがついただけですけど、役割的に狼なので、そういうことにしておいて話を進めます。
「青子のヤロー、なにケロケロしてやがんだ」
 頭にお花が咲いてそうな空気の青子に、彼──快斗はむっとした顔をします。この際、細かい説明は省きますが、快斗と青子は昔馴染みです。「っていうか、種族ちゃうやんけ」とかいうツッコミは、置いておきます。さっきも言いましたが、「細かい説明は省きます」から。
 近づいてくる青子に、快斗は慌てます。何故ならば今、快斗は快斗であって快斗でないからです。
 やべーな、と一歩下がった時、背の高い草にしっぽが触れて、がさりと音を立ててしまいました。
「──誰かいるの?」
 青子の声に覚悟を決めて、彼は姿を現しました。
「こんにちは、お嬢さん」
「キッド!」
 大声を上げた青子に、キッドと呼ばれた彼はポンと一輪の花を差し出しました。受け取ろうともせずに一歩距離を取ってこちらを見つめる様子に、快斗は頭に乗せたシルクハットを目深にして笑う顔を隠します。
 快斗であって快斗でない今の快斗は、キッドと呼ばれる、青子曰くの「悪人」です。
 これについては色々とあるのですが、それはまた別の機会にお話いたしましょう。長いから。
 ともあれ、キッドを快く思っていない青子は、キッドが快斗であることを知らないが故に、今の快斗は快斗ではなくキッドとして青子に接するのです。
「こんな森深く、お一人では危険ですよ。外までお送りいたしましょう」
「ダメよ。青子は奥に用事があるんだから」
「……用事?」
「ええそうよ、おばあさんの家にお見舞に行くのよ」
 そういえば、森の奥に一軒の家があって、そこに一人の老婦人が住んでいるはず。そこでちょっとしたイタズラ心が浮かんだ快斗は、キッドの仮面を被りなおし、穏やかな声で言いました。
「それは失礼しました。では、そんな貴女を素敵な場所にご案内いたしましょう」
「……どういう」
 意味、と問うより先に吹いた風が周囲の草や葉を巻き込んで、視界を塞ぎます。少し浮いたような気がした瞬間、青子は驚きました。緑しかなかったはずの森に、真っ白な雪が降り積もっていたのです。
 雪原? いいえ、それは雪ではなく、一面に咲いた白い花です。
 温かな陽射しを相殺するように、それは本当の雪のような涼やかな印象を与え、青子は思わず肩を震わせます。周囲の温度が下がったように感じられたのです。
 清廉潔白。悪者のキッドにはまるで不似合いな言葉が頭に浮かんで、それを打ち消します。
「人を見舞うには花束が必要ですよ。私のとっておきの場所ですが、特別に貴女にお教えいたします」
 声が降ってきて、青子は空を仰ぎました。
 けれどそこにキッドの姿はなく、彼の名残のような白い色だけが、青子の前に広がっているのでした。


◇ ◇ ◇



 青子を足止めさせたキッドは、そのまま彼女が言っていたおばあさんの元へと向かいます。おばあさんとすりかわって、青子を驚かせてやろうという魂胆です。
 昨日、してやられた身としては、今日は見返してやりたいところです。
 なにがあったのかって? それはまた別の機会に──するほどでもない、他愛のない口喧嘩です。
 その「ちょっとした喧嘩」を、ちょっとだけ気にしていた快斗は、青子が呑気におばあさんのお見舞いなどにかまけていることに少々立腹しておりました。オレをないがしろにしやがって――という気分です。仄かに香った甘いお菓子の匂いも、むしゃくしゃした気持ちに拍車をかけます。これは完全に八つ当たりなのですが、得てしてこういったことは本人はなかなか気づかないものでございます。
 そうこうしているうちに到着した家の戸から入らずに、ばふんと白煙とともに窓を開けて侵入したキッドは、驚くおばあさんを認めて優雅に腰を折りました。
「突然の訪問、失礼いたします」
「なんだい、おまえさんは」
 警戒心剥き出しのおばあさんにキッドは近づき、足元にふわり、片膝を付いて言いました。
「マダム。こんな家の中に閉じこもるばかりでは気分も塞ぐというもの。明るい陽射しの下でこそ、貴女の心はさらに輝くはずですよ」
 そっとおばあさんの手を取ると、触れるように口付けをします。そしてパチンと鳴らした指を合図に、おばあさんは寝巻き姿からいつも着ている普段着へ、続いてもうひとつ鳴らした手からはバラの花が生まれ、キッドはそれを笑顔とともに差し出しました。思わず受け取ってしまったおばあさんにシーツをかぶせ、カウントスリー。
 ゼロを唱えたと同時に払った真っ白なシーツ。そこにもうおばあさんは居ません。有無を言わさず強制排除でございました。
 なんでもない様子で軽く口笛を吹いたキッドは、そこでシルクハットとモノクルを取ると、やれやれといった風に頭を振りました。
「さーて、ここからが本番だぜ。仕掛けをご労じろってな」


 一方の青子さん。キッドに教わった通りにするのはなんだかシャクだったので、別の場所を探していました。だけど悔しいことに見つかりません。キッドの言った場所こそが唯一無二の「お花畑」だったようなのです。
「──でも、あーんなヤツが教えてくれた場所なんて、そんなのダメだよ」
 むーっと頬を膨らませてしばらく考えた結果、青子は花束を諦めることにして、遅れを取り戻すように足早におばあちゃんの家へと向かいました。



 コンコンコン。
「こんにちはー」
 そう言って青子は家の中に入ります。あまり大きくはない山小屋のような家で、戸口からすぐにベッドが見えます。そこには青子に背を向けるようにして寝ているおばあちゃんがいました。
「おばーちゃん、青子お見舞いに来たよー」
 持ってきた物をあれこれと説明しながら、青子はおばあちゃんの様子を伺います。
「おばあちゃん、大丈夫?」
「ああ、平気さ。せっかく来たんだ、さあもっと近くに来ておくれ」
 促されるままに青子はベッドの脇へと立ち、そこでふと問いかけます。
「ねえ、おばあちゃんの耳、どうしてそんなに大きいの?」
「それはおまえの声をよく聞くためさ」
「おばあちゃんの目はどうしてそんなに大きいの?」
「それはおまえの顔をよーく見るためだよ」
「じゃあ、おばあさんの口は、どうしてそんなに大きいの?」
「それはおまえを、食べるためだー!」



 完璧だ。
 そこまで想像して、快斗はぐっと拳を握りました。さすが、オレ。
 彼の脳内シミュレーション、これにて終了。
 なんか別の意味で「食べそう」な展開ですが、そこはご想像にお任せします。
 コンコンコン。
 ノックの音が聞こえて、快斗は戸口に背中を向けて布団を被りました。
 ククククク。
 笑いが止まりません。
 なんというか、かなり妖しい人です。


「おばーちゃん、青子お見舞いに来たよー」
 そう言って近づいた青子の足音が止まりました。
 静かになりました。
 おかしい。ここからは「どうして?」攻撃が始まるはずなのに、青子は何も訊いてくれません。だからといってここで自分から動いてしまっては負けだと思った快斗は、しばらく演技を続けました。
 チッチッチッチッチ。
 ポッポー、ポッポー、ポッポー。
 鳩時計が言いました。翻訳すると、「おいおいおい、30分経ったぜ親分」
 さすが青子。想定外です。背中を向けているので様子がよくわかりません。こんなことなら鏡でも仕込んでおくべきだったと後悔した時、まさにその隙を突いたかのように青子が問いました。
「ねえ、快斗」
「あんだよ」
「やっぱり、快斗だ。どうしてここにいるのよ」

 カンカンカンカンカーン。
 勝者、青子。


「おばあさんは? お出かけしてるの?」
「オ、オレが知るわけねーだろ」
 微妙に嘘を言いました。追い出したのは自分ですが、どこに行っているのかまでは知らないので、全部が全部、嘘というわけではありません。それでも後ろめたいというか、ちょっと居心地が悪くて視線を外す快斗に対し、青子はあまり深く考えてはいないようでした。
 じゃあ、また後で来ようかなぁと呟く姿に、快斗はそっと溜め息をつきました。
 青子がアホでよかった。
「ところで快斗は何してたのよ。留守番してたの?」
「まあ、そんなよーなもんかな」
 今度は曖昧に嘘を言いました。青子はたいして疑いもせずに「そっかー」と納得しています。顔見知りの家ですから、それもまた「あり」だと思ったからです。
「おばーちゃんは居なかったけど、でもちょうど良かった」
「なにがだよ」
「快斗に会えたし」
「オレ?」
「後で快斗の所に行くつもりだったの。青子、ケーキ作ったんだよー、甘いやつ」
 そう言って、もっていたカゴを目線まで掲げてみせます。カゴの持ち手と伏せたナプキンの向こうで、青子の笑顔が見えました。
「おめー、それここん家のばーちゃんへの土産じゃねーのかよ」
「おばーちゃんは甘い物駄目だもん、糖尿だし」
 だからこれは、快斗とおばさんへのお土産だよ、と不思議顔で言う青子を見ているうちに、どことなくムカムカしていた気持ちは収まってしまいました。ぷち喧嘩を引きずっていたのは自分だけなのかと思うと、ちょっと腹も立ちましたが、基本、楽観主義の彼は「ま、いっか」と自己完結。白煙と共に、青子の手からお菓子の詰まったカゴを奪い去ると、ぱちぱちと目を瞬かせる青子に言いました。
「外で喰おーぜ。いいモン見せてやっからよ」





 彼が手を上げれば、そこは野外ステージに早変わり。
 花や木や、風も光も、全てが彼のための物になる。
 小鳥のさえずりや風に揺れる葉音は、森が上げる歓声。
 森の小さなお茶会は、どんな豪華なディナーショーよりも素敵なものだと笑う青子の周りには、色とりどりの花が咲きます。
 快斗が笑う度に、青子が笑う度に。
 ひとつ、ひとつ。またひとつ。
 それは、魔法のような奇跡の瞬間。
 キッドが差し出す花よりも、快斗が得意そうにくれる花の方が、同じ花でもずっとずっと綺麗だと青子は思いました。


 降り注ぐ太陽の下のパーティー。
 他所の家の庭先ではありますが、
 それは目を瞑りましょう。

 今、この時。
 この、晴れやかな空に免じて。























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 合同合作イラスト倉庫「とかげのしっぽ」内に、元になったイラストがあります。
 興味のある方は、ご覧になっていただればと思います。





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