『 女の子の秘密 』 「シャーリーさん、お兄様と喧嘩でもしたんですか?」 唐突にかけられた声に、書類を捲る手が止まった。 (喧嘩? ルルと?) その言葉が疑問符付きで脳内を駆け巡り、思考の深さを表すように、彼女の眉が寄る。 「──ルルが、なにか言ったの?」 「いえ、そうではありませんけど。シャーリーさん、元気がないみたいですから」 「えー? そうかなぁ?」 言われ、苦笑する。 喧嘩、といえなくもない口喧嘩はしょっちゅうだ。 もっともそれは、自分が一人で怒っているだけで、なんだかいつも軽くあしらわれている気もするのだけれど。 だとしても、彼──ルルーシュと他愛もない言い争いをすることはたいして珍しくもないことだし、それが果たして「喧嘩」といえるのかどうかは、その時の気分次第だ。怒りを持続させている時もあれば、そうでない時もある。 怒りというよりは、むしろ拗ねている感じに近いのだけれど、悔しいからあまり認めたくはない。 だけど──、と思う。 だけどそもそも、その相手であるルルーシュとは最近あまり顔を合わせていないのだ。 何をしているのか知らないけれど、急に姿が見えなくなったり、居たと思うと早退していたり、どこかに消えてまた現れてみたりと、まるで掴み所がない。もともとどこか一方的に突き放した印象を持つ彼だけれど、少なくとも見知った相手に対しては礼儀を保った態度を取っていたはずなのに、ここ最近の彼はまた秘密主義になった気がする。表面上変わっていないように見えるけれど、どことなく違う気がするのだ。 立ち入ることではないし、立ち入れることでもない。まして、そんな立場でもない。 けれど、何か悩みがあるなら話してほしいとも思う。両親もおらず、目の見えない妹とたった二人の彼の力に、なってあげたいと思うのだ。図々しいのかもしれないけれど── 「……ねえ、ナナちゃん」 「はい、なんですか?」 「最近、ルルってなんだか忙しそうにしてるけど、何かあったのかな……」 「……さあ、お兄様は何もおっしゃりませんから」 「そう、だよ……ね」 もしも「何か」があるのだとしたら。 妹思いの彼はきっと、何も告げはしないだろう。心配をかけないためにも。 くすり。笑う声が聞こえて顔を上げた視線の先で、ナナリーが口元を覆っている。 ごめんなさい、と言いながらも笑っている少女は、本当に可愛らしいと思う。身体に障害を負い、車椅子の生活を送っているけれど、それを苦痛に思わせる空気はまるでない。周囲に対しても、変な風な気遣いをさせない雰囲気のある少女は、ルルーシュの大事な妹であると同時に、生徒会メンバーにとっても妹のような存在だ。彼女が笑っていると、こちらも嬉しくなる。 「どうしたの? 急に笑い出したりして」 「大丈夫ですよ」 「──え?」 問いかけとはまったく別の言葉を返されて、シャーリーは戸惑う。そんな彼女にナナリーは、どこか楽しそうに返した。 「お兄様、別に誰かとデートしているわけではないみたいですから」 「ええ!?」 ルルがデート? 誰と? まさか、やっぱりカレンと? と、一瞬そこまで考えた後で、気づく。 デートしてる……わけじゃない、と。ナナリーはたしかそう言ったのだ。 なんだなんだ、ビックリしたなーもう。 と思った後で、また気づく事実。 どうしてそれで「大丈夫だ」と言われてしまうのだろうか。 「──ええー!?」 「ですから──」 「や、あの。そうじゃなくて、ナ、ナナちゃん──っ」 会長のミレイ辺りにはよくからかわれてしまうことだけど。 だからある意味では、「今更」と言われてしまうのかもしれないけれど。 だけど、だからといって意中の人物の妹にまで言われるのはどうなんだろう。あげくに、慰められてしまっている始末。 (なんかあたしってば、恥ずかしい) 机に突っ伏してしまう。少し冷たいテーブルが、頬の火照りを奪っていくけれど、そんなことで追いつくぐらいの熱ではなかった。 頭上からは、ナナリーの声が未だ続いている。 「落ち込んでらっしゃるのは、お兄様が最近別のことを気にしてらっしゃるように見えるから、そのせいなのかと思ったのですけれど」 「…………うん、たしかにそれは、そうなんだけど」 でも別に、そういう意味で気にしているわけではなかった。 恐い顔をして考え事をしていたり、表情が厳しかったり、と。ふとした時に見える顔に、言いようもない距離を感じて。それがなんだか不安だっただけなのだけど、それをナナリーに言ってみたところでわかりようもないだろう。彼女の瞳がそれを映すことはないのだから。 けれど、見えない瞳で、見えないなりに。 見えないからこそ「見えている」こともきっとたくさんあるのだろう。 自分の知らないルルーシュのことを、たくさん知っている彼の妹──。 「……ルルって──」 「はい、なんですか?」 「ううん、なんでもない」 「気になります、言いかけて止められてしまうと」 何を訊こうとしたのか。 何が訊きたいのか。 シャーリー本人にもよくわからない。 つまりところ、要するに。 ルルーシュ・ランペルージは、シャーリー・フェネットのことをどう思っているのだろう――と。 一番気になるのは、そういうことではあるのだけれど。 「――でもお兄様、お付き合いなさっている特定の方は、いらっしゃらないと思いますよ」 「そうなの?」 「ええ」 「ナナちゃんには隠してるのかもしれないよ」 「だとしても、わかりますよ。お兄様、結構嘘が下手ですから」 澄ました顔でそう言うナナリーに、シャーリーは笑みを漏らす。 「そうかも。ルルってしっかりしてるように見えて、いざって時に弱いし。咄嗟に対応するの下手だよね」 「そうなんですよね。普段は余裕ぶってますけど、本当はそんなでもないんですよ」 「例えば、どんな?」 「んー、……色々です」 「もう、気になるなー、その言い方ー」 「家では私がついていますから、学校ではシャーリーさんにお任せします」 「わかった。仕方ないから、相手してあげる」 「はい。宜しくお願いします」 かしこまった口調でそう言うと、ナナリーもまた真剣にそう答え。 そして数秒の後に、二人で噴出して笑う。 と、その時だ。 「何の話してるんだ? 二人でコソコソと。やけに楽しそうだな」 「ルル!」 「お兄様」 生徒会室の扉に背中を預け、腕組みをしたルルーシュがいつの間にかそこに居る。 「ルル、いつから居たのよ!」 「いつって、ついさっきだよ」 「さっきって、だからいつ!」 「いつもなにも――って、何をそんなに慌ててるんだ、シャーリー?」 「――き、聞いてたの?」 「何の話だ?」 「だから!」 「お兄様、遅れてきたんですから、まずはシャーリーさんに謝るほうが先じゃありませんか?」 「あ、ああ。そうだな。すまない、シャーリー」 「――べ、別にいいけど」 生徒会の仕事といっても、ミレイが言い出して他へ押し付けただけのアンケートの集計で。一人でもたいして問題なかった程度のもの。それをミレイが気を使ったのか、単に面白がっているのか「ルルーシュとシャーリ。二人でやりなさい、会長命令よ!」と、そう言っただけのことだった。 無視してしまっても構わないと思うのだけれど、バレたらバレたで後で何が待っているかわからない。だからこそ、ルルーシュはやって来たのだろう。 二人で、というシチュエーションは嬉しくないわけじゃないから、約束していた時間からは大分遅れてしまっているけれど、こうして来てくれたことはやっぱり嬉しい。 ただ、タイミングが悪すぎただけなのだ。 横にいるナナリーと、その先にいるルルーシュの会話を聞きながら、さっきまでの会話を思い出す。 この様子だと別に聞かれたわけじゃないらしい。 好きだとか、そういった類のことを具体的に口にした記憶はないけれど、それでも本人がいないと思って話す本音を実は聞かれていたのだとしたら、やっぱりそれは気まずいし恥かしい。まともに顔なんて見れなくなるかもしれない。 こういう時、「見えない」ことは、どう気持ちに反映されるんだろう。 相手が見えないからこそ、居たたまれない気持ちは増すのだろうか。 相手が見えないこと。それは、見たくないから見ない振りをすることとは、まるで違う。 自分よりも幼いナナリーは、ずっとそんな闇を抱えているのだと、改めて思った。 少女の閉ざされた目蓋の奥──、そこに隠された瞳は、一体どんな色をしているのだろう? 彼女の兄に似た、とても綺麗なアメジスト色なのかもしれない。 見てみたいと思う。 そんな未来が訪れればいいと、そう思う。 「だから、結局何なんだ?」 訝しそうに問いかけるルルーシュに向かい、ナナリーと顔を見合わせてシャーリーは、そして少女の手を握る。 まるで申し合わせたかのように二人は、同時に口を開いて彼に答えた。 「女の子同士の秘密」 **************************** シャーリー萌え。 |