− この夏の向こう側で − 夏空の下。 ただ、空といっても、もうそれは闇の属性。 次の試合が近いこともあり、気合いの入った部活はここのところやや延長気味だった。それでも、特に苦痛に感じない練習は、監督によるメニューによるものなのだろうか。己の中学──シニア時代を思い返して考えてみる栄口は、ふと隣を行く三橋に目をやった。 三橋廉。西浦のエースで、中学時代もまたエースを担っていた少年。ただ、そのエースナンバーは「偽り」だというのが本人の弁であるが。 祖父が経営する学校に在籍しているため、「ヒイキでエースだった」と語ったのは出会ったその日のことだった。おどおどと、泣きながら話すボールにはたしかに球速はなく、けれどそれを上回る驚異的な制球力を持っていて。彼の可能性に逸早く気づいたのは、ボールを受けた阿部だったが、今ではチームの誰もが認める「エース」だった。 そのくせ三橋は、他に投手がいないから、今も投手が出来ると思い込んでいる節がある。トラウマだった三星に勝ち、それ以後、他校との試合でも勝ち越していく中、少しでも前向きになってくれないものだろうか。 (もうちょっとなー、自信持っていいと思うんだけどな三橋は) もっとも、「持て」と言われて持てるようなら、そもそも悩んだりはしないだろうが。 (オレだって自信満々かって訊かれたら、胸張って堂々とは言えないよな〜) 宣言できる豪快さは、自分にはない。 メンバーの中であっけらかんと言ってのける人物といえば、田島ぐらいだろう。 そんな田島悠一郎は、本日はキャプテン花井梓と並列している。「次の試合、四番はどっちかしらね〜」などと嬉しそうに笑っていた監督の百枝だったが、脅された田島本人はあまり気にしてはいないらしい。怯えているのはむしろ、花井の方だろう。 (モモカンらしいっちゃーらしいけどね) 思い出して笑う目の端で、三橋が驚いた顔をしているのが映り、その表情にも笑みが漏れた。 すると三橋が固まる。目が泳ぎはじめ、自転車を押す手が震え、肩を竦めて前へ向き直る。けれど気になるらしく、ちらちらとこちらを伺うのだ。 なんだかオレがいじめてるみたいだよなー、これ。 慣れてはきたけど、たまに落ち込む。 周りの人間に受け入れてもらえなかったであろう彼の中学時代を思うと、気持ちはわからないでもないのだけれど、この自己防衛機能は過剰すぎやしないだろうか。相手は「知らない誰か」ではなく、チームメイトだというのに。 「なんだよ三橋、別におまえのこと笑ったんじゃねーって」 「あ、うん」 「花井」 「うん?」 前方、コンビニの入口の前に自転車をつけた田島に、「んなとこ停めたら邪魔になんだろ」と一喝する花井を指して、 「モモカンがさ、花井にプレッシャーかけてたろ? なんか端から見てたらおかしくってさ」 「は、花井 くん は、す……、すご い から」 「すごいって、何が?」 「い いろい ろ、だし」 「──あー、まあそうだよね」 要するに、打者として田島と争える立場にあり、投手の練習もしていて、キャプテンとして皆を引っ張っていく度量もあって──と、そういうことだろう。 でも、思うのだ。 「だけどさ、色々出来ることと、ひとつのことを極めることと。どっちがすごいかっていうと、比べられる問題じゃないよ。花井は花井だし、田島は田島。オレはオレのやれることやるし、三橋だってそうだろ?」 「オレ は……」 「うん?」 「……うん」 「ガンバローなー、次の試合もさ」 「う ん」 こくり、頷いた三橋が一度大きく震えた。と同時にかすかに響く音。 ケータイ? 咄嗟に己のカバンに手をかけたが、三橋がポケットを探る手の方が早かった。取り出したのは未だ細かく震え続けている携帯電話。画面を見つめ、三橋の目が揺れた。自分と話しているのだから、それを遮断して電話に出てしまってもいいのだろうか、と如実に戸惑う顔つきに苦笑し、促した。 「出ろよ、オレは別にいいからさ」 「う」 こくこくとおもちゃの人形のように頷くと、三橋は慌てる手で通話ボタンを押し耳元に添える。同時に口を開き、通話先の相手であろう名を呼んだ。 「ル リ?」 るり? 意外な名前に思わず目を見張る。てっきり自宅からだろうと思い込んでいたのはたしかに勝手だけれど、まさか女の子とは。 (るりって、あれだよな、きっとあの子だよな、イトコの子) 以前、朝練に向かう道すがら三橋から聞いた話。群馬にいるという、同級生の従姉妹は、桐青戦の時に姿を見たことがある。クセのある長い髪を三つ編にして垂らしていた、三橋にどことなく似た面差しをなんとなく思い出している栄口を他所に、電話を受けている三橋は、なにやら困惑しているようだった。 「どこって、そ、外。だ から、まだ外。家に、帰ってないよ」 言った後で、電話から耳を離し、恐い物を見るような目で携帯を見つめている。かすかに女の子の声が聞こえ、栄口は三橋から離れる。 「先、向こう行っとくから」 小さく声をかけ、頷く三橋を置いて店へと向かう背中越しに、再開された会話が切れ切れに聞こえる。 「だ から、言ったじゃ ない か。わかんない、って」 「え、ルリ、なん で?」 「そうでもない と、思 う」 三橋の言葉は相変わらず間が多い。けれど、それでも普段からの彼からは考えられないほど、三橋にしては流暢な話し方をしていて、少し驚く。 だけど考えてみれば、相手は親戚なのだ。中学時代は一緒の家に暮らしていたほどに近しい関係なのだから、ビクつく必要も、「引く」必要もないのだろう。 オレらだってさー、一緒に野球やってるメンバーなんだから、もうちょっとさー。 おどおどするなよな、と。言ってもそれは無理なのだろうけど、やっぱり改めて思ってしまった理由は、あの子に対する嫉妬だろうか。自分達よりもずっと三橋と仲のいい彼女に対する――…… (うわー、なんだよそれ) 気づいて、その理由に恥ずかしくなる。 すごく羨ましい、なんて。 (子供みてー) バカみたいで笑いたくなる。 「なにニヤニヤしてだ、栄口」 「別にニヤニヤなんてしてないって」 「あれ? 三橋は?」 「電話かかってきて」 口々にかかる声に指差しで答える。 暗がりの中、自転車の脇で三橋がぽつりと立っていた。その姿は、マウンドに立つ孤高の投手を彷彿とさせ、やっぱりあいつは正真正銘西浦のエースだな、と笑う。今度は嬉しい微笑みだ。 「なんだよ、また笑ってる」 「やー、なんかさー、ああやって一人で立ってるの見ると、マウンドみたいだなーってさ」 「ああ、似てるかも」 「だろ」 ちょうど一緒にいるのが巣山に沖と内野メンバーだからこそ、か。すると、文字通り外野──左翼手から声がかかる。 「あれー? うちのエース、あんなとこでなにやってんの?」 「電話だってさ」 「え、なに。急用?」 「んー、わかんないけど」 心配そうな水谷に、どこまで告げてよいのやら。女の子からの電話だなんて、直接本人から聞いたわけでもない推測話を、勝手にしていいとは思えなくて、栄口は曖昧に返す。 三橋は、見えない相手に身振り手振りで会話しているようだ。視線の先、いつものように頷いたり人差し指が泳いだりと忙しい。誰が相手でも、そこだけは変わらないのだろうか。 「あれ? 栄口、なんも喰わねーの?」 突如、思考に割り込んだ田島に、我に返る。 考えていたって仕方ない。 イトコはイトコ、自分達は自分達だ。 どっちがすごいかっていうと、比べられる問題じゃないよ。 ついさっき、自分が三橋に言ったことだ。 可笑しさに崩れそうになりながら、田島に答える。 「三橋、待ってるんだよ」 「あれ? 三橋なにしてんの。おーい、みーはしー」 「うるさい、電話してんの見りゃわかんだろ」 「なーんだ、そっか」 泉の一言にコロリと納得し、今度は大きく手を振る。気づいた三橋が相好を崩し、小さく手を振り返す。満足したようにコンビニの光源が届く場所へ戻る田島を見送り視線を戻すと、もそもそと動く三橋が見えた。携帯を仕舞い、自転車を押しながらこちらへと歩いてくる彼に、今度は自分が手を振ると、さっきと同じように笑う顔が返ってくる。 「電話、急ぎの用とか?」 「う ううん。べ 別に、そういう ん じゃない よ。へい き だよ」 ぶんぶんと首を横に振りながらの返答。いつものこと。 だけど、出会った頃から比べると格段の進歩なのだ。 (これからだよなー、まだまだ) 野球も、高校生活も、まだ先は長いから。 次の夏が来る頃には、もうちょっと軽口が叩けるように、 (なってるとは、性格上あんまり思えないけど……) それでも、今より、もう少しだけでも縮む距離を願って声をかける。 「なんか買うだろ、一緒に行こうぜ、三橋」 向かう先は、光満ちた未来。 @栄口+三橋 なんだか論点が逸れたような気もしつつ、栄口くん視点での三橋。 要するに、「よく目が合うようになったよなー」ということです(笑) 時系列が微妙なのですが、あまり深く考えないでやってください(逃走) ルリとの電話は、三橋版で。 |