空を見上げていた。 一人。 真っ青な空や夕焼け空、星の見える夜空。 前を向くよりもずっと楽だと思っていた、あの頃。
_____ 黄 昏 ラ ラ バ イ
カラカラと、チェーンが織り成す合唱の中、ハンドルを押して喋りながら歩く道は、等間隔に並んだ街灯のおかげでそれなりに明るい。並列だとかおしゃべりだとか、あまり騒がしいのは迷惑になりかねないけれど、九人も居ると、「大人しくしておけ」という方が無理だろう。それに、しんと静まり返っているよりは、楽しそうな声を聞くほうがよっぽどいい、と思う。会話のない世界ほど、孤独なことはないからだ。 (みんな、楽し そう だ) 二人、ないしは三人が横並びで自転車を押す列の最後尾で三橋は、そんなことを胸中で呟いた。 話しかけて、それに対して言葉が返ってきて。 会話に流れが生まれて、そして笑う。 (楽し そう) だけど、その輪の中に未だスムーズには入れないでいる。 例えば自分が発言することで、その場を乱してしまうのではないか、とか。 嫌な顔しないかな、とか。 返事がなかったらどうしよう、とか。 頭で余計なことばかりを先行させて、起こってもいないことで悩んでしまうのだ。 (……みんな、すごいな) 一際大きく声が上がったのは、同じクラスの田島悠一郎だ。その声に、隣にいる花井が「もーちっと静かにしろ」と、こちらも十分大きな声でたしなめている。 (田島 くん。怒られてる けど、嬉しそう だ) すごい、田島くんはすごい、な。 決して「怒鳴られている」わけではないのだけれど、三橋の感覚としては、十分に「怒られている」し、それでも笑い飛ばせる田島は、やっぱりすごいな、と。そう思ってしまうのだ。それに比べて自分はどうだろう。あんな風に出来る自信はない。怒られても嫌われない自信なんてない。きっとみんな、自分のことを嫌になってしまうに違いないから。 ずぶずぶと沈む思考に、ふと笑い声が聞こえた。 それは隣を歩く栄口。なんだか可笑しそうに、小さく笑っている。 (な なんだろう、オレ、また、なんか、余計な こと) いや、なにもしていないのがいけないのだろうか。 だって皆、歩きながら色々話してて。 でもオレは何にも言わずにずっと歩いて、て。 だから栄口くんも、嫌に、なっ── 走る焦燥感。 すると栄口は、また笑い始める。そして、言った。 「なんだよ三橋、別におまえのこと笑ったんじゃねーって」 「あ、うん」 「花井」 「うん?」 「モモカンがさ、花井にプレッシャーかけてたろ? なんか端から見てたらおかしくってさ」 そう言って、また楽しそうに笑った。 今日の練習。監督が次の試合、4番をどうするか──といった話を、そういえばしていた。 4番がどうなるかわからない、からには、守備だって同じこと。 オレ、ちゃんとしないと、エースになれない、かも。 花井くんや、沖くん、が、いる、から。 オレの代わり、いる。 ずどんと落ち込みかける三橋を見透かしたように、栄口の声がかかる。 「色々出来ることと、ひとつのことを極めることと。どっちがすごいかっていうと、比べられる問題じゃないよ。花井は花井だし、田島は田島。オレはオレのやれることやるし、三橋だってそうだろ?」 オレは、オレ。 三橋廉は西浦にただ一人で、 ピッチャーが出来る人員は三人いるけど、 投手・三橋は、一人しかいなくて。 だから、 「ガンバローなー、次の試合もさ」 自分が出来る、精一杯を。 栄口くんは、やっぱりいい人だ。 どうして何も言ってないのに、オレの思ってることわかっちゃうんだろう。 少し、泣きたくなる。 震える心に、突如別の振動が生まれた。 ケータイ? ぶるぶると主張する携帯電話を取り出して眺めたディスプレイには、従姉妹の名前が表示されていた。 ルリ? なんで? 出ようとする指は、直前で止まった。 だって今は、栄口と話している。せっかく生まれた会話を止めて電話に出るなんて、彼を無視しているようで悪いような気がするからだ。 けれど、栄口・いい人・勇人は、「出ろよ、オレは別にいいからさ」と自分を促すのだ。 本当の本当に、「いい人」だ。 頷いて通話ボタンを押す。 「ル リ?」 「あ、レンレン。ねえ、今どこにいるの?」 前振りもなく、従姉妹はそう訊いた。 問いかけにしばし迷い、結局こう答える。 「どこって、そ、外……」 「はあ?」 「だ から、まだ外。家に、帰ってない」 「そんなのわかってる」 むっとした声がさっきよりも大きく聞こえて、その音量に携帯を少し浮かした。 (お、怒って る) まるで携帯自身がルリの化身であるかのように、恐れ慄いた目で携帯を見、それでも無視するわけにもいかないため、再度耳を近づける。 「ちょっともう、レンレン? 聞いてる?」 「聞いて るよ」 「だからー、どこにいるのかって話。具体的な場所を聞いてるの!」 問われ、三橋は目を泳がせる。 場所、と言われても。 答えたところでどうなるというのだろう。 ここは群馬じゃなくて、埼玉で。こっちに遊びに来たことはあったとしても、明確な地理感覚なんて持ち合わせているとは到底思えないからだ。 けれど、相手はルリだ。 答えなければ納得はしないんだろう。 それでも小さく反抗を試みる。 「だけ ど、この辺の場所 とか、ルリ、言ってもわかんない んじゃない の?」 「聞いてみなきゃ、なんともいえない」 やっぱり、だ。諦めて、おそるおそる地名を告げると、即座に「わかんない」との答え。 さすがにむっとして、言い返す。 「だ から、言ったじゃない か。わかんない、って」 「そうだけどー! わかんないよりわかったほうがいい、っていうか……」 「なに、が、だよ」 小さくなる言葉尻に怒りの矛先を収め、問い返してみると、一拍置いて、ルリは話し出す。 「……ん、だからさ。どこに居るか全然まったくわかんないよりは、例え知らない名前であっても、場所の名前があった方がさ、なんかいいじゃん」 「でも、知らない名前言われても、わかんなかったら、わかんない、よ」 「うん、そうね。たしかに結局はわかんない」 前言を撤回するようにあっさりとした否定をした従姉妹に、三橋はまたむっとなる。そんな自分をよそに、電話越しの彼女は、それでも──、と続けた。 「それでもさ、知らなかったら覚えればいいんだし。そうしたら今度は、訊いた時にレンレンがどの辺にいて、あとどれぐらいで家に帰ってくるのか、ちゃんとわかるじゃない」 無駄じゃないよね、と笑い、言った。 「帰って来たら、教えてね、場所」 言葉に詰まった。 言いくるめられた気がして、「ずるい」と思う。 ルリは、いつもこうなんだ。 中学の時、一緒に暮らしていた時は反論もしたかもしれないけれど、こっちに戻ってきてから聞く要求には、不思議と怒りが生まれなかった。 「レンレン?」 「ん、わかった」 「うん」 「ルリ、いつ帰るの?」 「レンレン次第」 「オレ?」 「そうよ、だから訊いたんじゃないの、どこに居るの? って」 用事でこっちに来て三橋宅を訪れたルリに、せっかくだから廉に会ってから帰りなさいよと、母親が引き止めて。しばらく待ったけれど帰宅しない廉に直接問いただそうと電話をかけてきた、というのが今の状況であったりするのだが、そういう言い方をされるとなんだか悪いことをしている気にもなってくる。 「……ごめん」 「やだな、なんで謝るのよ。野球部の練習なんでしょ? しょうがないよ」 その割には、帰宅の遅さに憤慨していたような気もしないでもないけれど、一応こちらの事情にも気遣ってくれたのだと、判断する。 電話を当てていない方の耳に田島の声が聞こえ、視線を流すと、大きく手を振る姿が数メートル先に見えた。手を振り返すと、満足したようにニカっと笑い、彼は背を向ける。明るいコンビニの光に、西浦の皆が照らされて眩しかった。 視線の先にいる皆の存在が、嬉しく思えた。泣きたくなるほどに。 「今帰ってるとこだから、もうそんなに時間 かかんないよ」 「そう? じゃあ待ってるね」 後でね、と切れた電話を仕舞い、自転車を押して向かう。栄口が笑って手を振り、対して自然に笑みが漏れた。 「電話、急ぎの用とか?」 「う ううん。べ 別に、そういう ん じゃない よ。へい き だよ」 急ぎの用、ではないけれど。 なるべくなら、ちょっとでも早く帰るべきだろうか。 (ルリにも 言っちゃったし) 「どうした、三橋」 「や、え、あの」 「なんだよ、電話なんか用事だったのか?」 「う──」 ひょいと顔を出した田島に、詰まる。ついさっき、栄口に対して「平気だよ」と言ってしまっているため、ここで何かいうと、嘘になってしまう気がしたからだ。 田島の声に、皆がわらわらと集まり、三橋はますます焦った。 「あ の、なんでも ない から。ただ──」 「ただ?」 「え と、今、イトコが こっち に 来 て て。そいで 今、う うちに居て。だ から……」 「イトコの子って、あの女の子だろ? 桐青戦ん時に応援に来てた──」 栄口が言う。そういえば彼には、同じ年の従姉妹が居ることを告げたことがあるのだ。 「じゃあ早く帰った方がいいんじゃないのか?」 「そうだよ、早く帰ってやんなよ」 「のんびりしてる場合じゃねーじゃん」 「おー、あの子かー。よーし、じゃあこれやる。お土産」 「おい田島、それはちょっと……」 「えー、これ旨いんだぜー」 「だからっておまえの食い刺しはないだろ」 串刺しの唐揚げをひとつ抓んで三橋に差し出す豪快な田島に沖が呆れ、花井が苦言を示す。だってよー、と未だ文句を言う田島をよそに、そこで水谷が陽気に提案した。 「じゃー、新しく買やーいーじゃん。はい、みんな五十円出してー」 「なんでだよ」 「八人いれば、結構な額になるだろー。なんかいいもん買えそうじゃん」 やったねといわんばかりの笑顔でVサイン。ほれほれと振る水谷の手の平に、コインではなく手を叩きつけて、阿部。 「偉そうに仕切んなよ」 「ってー! なんだよ阿部。ケチだな」 「誰がケチだ。出さねーとは言ってねーだろ」 「女って何がいいんだー?」 「やっぱ甘いもんとかじゃねーの?」 「おお、さすが花井、兄貴ー」 「っるせー!」 まだ何も言っていないのに、三橋を置いて話は進行していた。 あわあわと泳ぐ手。その肩にぽんと叩いた栄口が、宥めるように言う。 「まあ、いーじゃん。おまえが気にすることないって」 「だ けどっ」 「いいからいいから」 歌うように言った彼は、「おれもカンパしなきゃ」と、輪に混じる。移動する彼らの後をひょこひょことアヒルのように付いてコンビニへ入った三橋は、品定めする彼らの背中を少し離れた場所で見ながら、苦笑する。 なんだか変な気分。 こうして皆でコンビニへ立ち寄ることは、いつものことなのに。 その「いつも」が、少しだけ違っている。 ふわふわした、不思議な気分だった。 「おまえは?」 なんも買ってねーんじゃねえの、と背後から声をかけてきたのは阿部で。いつもながらの唐突な声に、三橋は条件反射的に直立する。 「あ、あ、阿部 くん」 「買わねーの?」 「か、買う よ」 半ば逃げるように離れ、そのことに少し後悔して、やっぱり離れた所からそっと伺うと、阿部はその場で皆の様子を傍観している。相変わらず、怒っているのかどうか、よくわからなかった。 パンをひとつ取り支払いを済ませる。外に出て、かぶりついた瞬間、ざっと差し出されたのは、膨らんだコンビニ袋。 「ほれ、お土産」 「腹減ってるからって、こっちも喰うなよなー」 「おまえじゃねーんだから」 口々にかけられる声に押さ受け取る中身は、駄菓子が中心だった。 「なんか、質より量って感じだよな、これ」 「言い出しっぺのおまえが言うか、それを」 「別にオレ一人で選んだわけじゃねーじゃんかー」 大きさの割には軽い袋が、受け止めた瞬間、重力に伴いガサリと音を立てる。 どくん、と。 呼応するように鼓動がひとつ、大きく鳴った。 「あ の……」 割り込んだ声に、一同が静まり。その静寂に負けそうになりながら、それでも三橋は声を振り絞った。 「あり……が、とう」 「おう」 「気にすんなってー」 「んなことより、おまえ早く帰れよ」 「そうだよ、相手が帰っちゃったら、せっかくの土産がパーじゃん」 「う ん」 野球部。 ルリは三星における野球部のこと、どう思っているんだろう。 言わなくても、なんとなくわかっているのかもしれない。 同じ学校なんだ。なにかしらの雰囲気は当然感じ取っていたはず。 もう、そのことを聞きたいとは思わない。 今はあの頃とは違う、から。 「それ じゃあ、オレ」 「おお、またなー」 「明日なー」 手を振って別れても、寂しくなんてない。 暮れていく空も、星が瞬く夜空も。 明日という日々に、きっと続いている、から。 ぐんと漕ぐ自転車のカゴで、コンビニの袋がガサガサと音を立てる。 お土産。 皆がくれた。 家に帰ったら、ルリにちゃんと渡そう。 そして言うのだ。 お土産くれたよ、って。 オレの『仲間』が、くれたんだ──って。 そうしたら、ルリはなんて言うだろう? 想像して零れた笑みに緩む頬を、夏を往く風がそっと撫でた。 @三橋 ってゆーか、気持ち的には「レンルリ」で(笑) おお振りでは男女カプは考えたことないのですが、その中で敢えてなにかあるとすれば、レンルリです。 でも三橋の場合は、ルリに対して恋愛感情ないと思う(笑)(つか、エースのことしか今は考えてないっぽい) 対してルリも、気分は「姉」だと思う。私が世話してやんなきゃ的な。 だからこそ、高校生になってちょっと変わってきた三橋に、「レンレンのくせに」とか戸惑ってればいいと思うヨ。可愛い。そういうのに萌えます。 |