クラスメート4 秘密のポートレイト
秘密のポートレート 編




「──え?」
「だから、返すわよ、こんなもの」
 きょとんとした表情でこちらを見つめ、やがて一息ついて肩をすくめた。
「……まったく。なにを意気込んでるのかと思ったら」
 呆れた声で呟いて、また背を向ける。あたしは慌てて口を開いた。
「ちょっと、おねえちゃん。無視しないでよっ」
「無視なんてしてないわよ、相手にしてないだけ」
「それを無視するっていうんじゃない」
「話はしてるんだから、無視してるわけじゃないでしょ?」
「────っ!」
 なびきおねえちゃんはいつもこうだ。
 口先三寸で相手を言いくるめてしまう。屁理屈が得意。弁が立つっていうのは悪いことじゃないと思うけど、時々腹が立つのよね。
 机に向かって何か書きつけている──大方、また帳簿とかなんだろうけど──背中に向けて、あたしは主張を続けた。
「とにかく、これ、返すから」
「せっかくこのあたしが無償であげるって言ってんのに。あんた、馬鹿ねー」
「あげるって、押し付けたんじゃないの。貰うなんて言ってないし、欲しいなんて言ってないわ」
「なにもずっと持ってろだなんて言ってないでしょ? 売れば結構な値になるんだから、転売しちゃえばいいのよ。いい顧客、紹介しましょうか?」
 そう言って、いつも持ち歩いている小さな手帳をひらひらと振ってみせる。
 そうか、あれは顧客名簿だったのね……。
 悪びれない態度にあたしはひそかな反逆に出た。
「個人情報の流失なんて、簡単にしていいの?」
「流すつもりはないわよ。教えてあげるだけ。勿論、仲介役はあ・た・し」
 仲介料は、荒利の三割でいいわ──と、にんまりと笑う。
 ──どこまで稼げば気が済むのよ……。やっぱりおねえちゃんに口で対抗するのは無理らしい。
 玉砕したあたしを笑って、おねえちゃんがやっとまともにこっちを向いた。
「あんた同じクラスなんだから、彼のことよく知ってるでしょ?」
「……そりゃ、知ってるわよ」
 知ってるもなにも、後ろの席だもの──。小声で呟いて、手の中の写真に目を落とす。
 そこに写っているのは、あたしと同じクラスにいる問題児・早乙女乱馬。風紀違反と遅刻常習者、罰則掃除の常連者だ。風紀委員のあたしは毎朝のように、始業ギリギリにやってくる彼を追いまわす。腹が立つことに逃げ足は速いし、身軽だし。全然追いつけない。あたしだって体力には結構自信ある方で、並の男の子なんかには引けを取らないって、思ってる。そのあたしでさえ息切れしちゃうぐらいに、彼は体力の権化だ。
 へとへとになって教室に辿りつくと、当の本人は友達と楽しげに会話してて。席につくと、後ろからちょっかいをかけてきたりする、子供みたいなヤツ。
 とにかく、ずっと振り回されっぱなしで。そんな早乙女乱馬の写真を、どうしてあたしが持ってなくちゃいけないのよ。あいつの顔なんてもう、うんざりするぐらい毎日見てるのよ? 冗談じゃないわ。
 憤慨するあたしを、なびきおねえちゃんは面白そうに見ている。
「あんたの主観はともかくとして。彼、結構人気あんのよ。知らないの?」
「はあ? あいつが──あの早乙女乱馬が?」
 あっけに取られるとはこのことだ。
 どちらかといえば、敬遠されてると思ってた。最近はちょっとマシになってきたような気はするけれど、以前までは「恐い」と評されていたのが、早乙女乱馬。彼と話をするのは、あたしぐらい──ううん、もう一人。彼の幼馴染みだっていう、久遠寺右京さん……。
 ……そうだ。彼女のせいかもしれない。
 久遠寺さんが彼に気軽に話しかけてて。久遠寺さん自身、気安い性格だから、クラスの女の子とも気負いせずに話してるし。彼女が、早乙女乱馬とクラスメートの中和剤のようになって。
 そういえば、最近は他の女の子も普通に話しかけるようになったのかもしれない。
「──どうしたの、あかね。恐い顔して」
「え? ──ううん、別に、なんでもない」頭を振って答え、「あんなヤツが人気あるだなんて、信じられないだけ。それって、ただ単に目立ってるってだけじゃないの?」
「目立ってるって意味じゃ、あんたも一緒よ」
「あたし?」
「そう、朝のアレ。名物じゃない」
「ひ、人を観光名所かアトラクションみたいに言わないでよねっ」
 楽しそうに笑うおねえちゃんに、あたしは思わず声を大きくした。そしてそのまま踵を返す。
「ま、いいから。持っときなさいよあかね。そのうちプレミアつくかもしれないわよ」
 わざと返事をしないで、ドアノブをまわす。廊下に足を踏み出したところで、もう一度声がかかった。
「ねえ、あかね。客観的に見るとわかることってあるのよ。写真ってね、そういうもんを教えてくれるの」
 外から落ち着いて眺めてみるのも、いいんじゃない?
 おねえちゃんの声は、ドアの隙間を滑り込んで、あたしの耳に届く。
 そして静かにドアが音を立て、閉まった。



 外から、客観的に見ること。
 なによ、それ。急に真面目なこと言い出して。
 自分の部屋。ベッドにうつ伏せに寝転がって、あたしはうめいた。
 手には、あの写真を持ったままだ。
 写真の中の早乙女乱馬は、いつもと違った顔をしている。おねえちゃんにしては、変わった写真だった。地味っていうか、落ち着いた雰囲気の写真。隠し撮りは隠し撮りなんだと思うけど、だからこそ、写真の中の早乙女乱馬は、なんだかすごく無防備だった。彼にしては、ひどく珍しい。
 場所は校庭。背後に写っているネットから考えて、テニスコートの脇だろうか。何をするわけでもなく立っていて、どこかを見ている。
 どこか──っていうか、きっと「誰か」だ。
 理由もなく、確信めいてそう思った。
 そう感じた。
 誰だろう。
 彼の視線の先にいる人は、一体誰なんだろう。
 ほんの少し目を細め、自然に緩んだ口元。見たこともないほど穏やかで、
 意外なほどに、優しい顔をしている。
 こんな──、こんな顔もできるんだ。
 いつもいつも意地悪そうに笑みを浮かべてるくせに、なによ。こんな風に誰かを見つめることもあるんじゃないっ。
 もしもこんな顔で見つめられたら、一体どんな気分がするだろう。
 どんな気持ちになるだろう。
 そう思うと、急にドキドキしてきた。
 いけない秘密を覗いてるみたいな気がするからなんだろうか。
 クラスの、ううんきっと学校中のみんながまだ知らないと思う、早乙女乱馬のもう一つの顔。
 それがここにあって、自分一人だけがそれを見ているから。
 後ろめたいような、それでいてちょっと優越感があるような。色々と入り混じった気持ちがあるから。
 だから、こんな風に戸惑ったり、困ったような気持ちになったりするんだ、きっと。
 彼女は知ってるんだろうか。
 久遠寺さんは、早乙女乱馬のこんな顔を、見たことがあるんだろうか──。
 幼馴染みなんだもん、きっと知ってるんだよね……。
 ずん……と、重いものが圧し掛かった。最近、いつもそうだ。久遠寺さんと早乙女くんのことを考えると、何故かいつも苦しくなる。
 あたしはもう一度写真を見た。
 外から落ち着いて眺めてみるのもいいんじゃない?
 おねえちゃんの声がよみがえる。
(誰かのことを一方的に決めつけちゃダメだって、そういうことだよね……)
 意地悪なヤツだと思うし、時々何を考えてるのかわからないけど。それでも知らないままに、わかっていることだけで誰かを悪く決めてしまってはいけない。それは、差別だ。
 もっと気をつけてみていれば、今までとは違う早乙女くんの顔が、見えてくるのかもしれない。
 明日、話しかけてみようかな。
 よそみばっかりしてると、怪我するわよ──って。
 大きなお世話だ。
 そう言って舌でも突き出しそうな顔を思い浮かべて、あたしは一人で笑ってしまう。
 さっきまでも重苦しい気持ちは消えていた。
 笑うってことは、気持ちをとっても軽くするものなんだ。

 いつか、訊いてみたい。
 彼は答えてくれるだろうか。


 ねえ、一体誰を見ていたの──?