クラスメー9 彼の宿敵
番長登場 編




 その人が現れたのは、春の陽気も過ぎ去った、ある日の放課後のことだった。



 放課後の定例会と称して、生徒会長に収集されたあたし達、各委員は、やたら熱弁を揮う九能先輩を適当にやり過ごしながら、早く終わらないかなー、なんて考えていた。
 九能先輩はたしかにちょっと──ううん、かなりの変わり者だけど、それでも実行力には優れた人だ。
 新学期が始まって、あたし達新入生もようやく「高校生活」というリズムに馴染みはじめている。そんな時期だからこそ、より学校を楽しんでもらおうと、生徒会としてはなんらかの活動がしたいらしい。
 その考えに関しては賛成だし、そうやって取り組もうとする姿勢には拍手を送りたい。
 でも、その案が「校内弁論大会」とか「スポーツ王者決定戦」とか「生徒会標語募集」とか、ちょっとずれてる気がするのよね。
 妙な熱気がこもった室内の空気を入れ替えようと、あたしは窓を開けるために立ち上がり、そして気づいたのだ。
 校庭の人だかりに。



「なに、あの人」
「さあ……、うちの生徒じゃないわよね」
 正門付近に立っている少年を遠巻きに眺め、みんなが口々に囁いている。
 当人はといえば、周囲の反応なんてまるで目に入っていないみたいに校舎を見上げて立っているだけだ。門の真ん中にいるから、みんな帰ろうにも帰りづらい状況。
 とにかく、なんとかしなくちゃ。他校の生徒だったとしたら余計にあたし達の仕事になる。
 意を決して歩き出そうとしたとき、その人は誰に尋ねるともなく声を張り上げた。

「早乙女乱馬はどこにいる。出て来いっ」

 早乙女くん?
 あたしは踏み出した足を止めた。
 周りは顔を見合わせて首を傾げている。
 それはそうよね。同じクラスでもないかぎり、一生徒──ましてや新一年生の名前なんて知っているわけないもの。
「早乙女乱馬、臆したか!」
 大きな声が響きわたる。随分な物言いだけど、この人、早乙女くんになにか恨みでもあるのかしら?
 そんな風に思ってしまうぐらい、なんだか怒りの滲む声だった。

「なんなんだよ、一体……」
「知るかよ。なんか知らないけど、早乙女乱馬はどこだーって言ってるぜ?」
「おまえ、どうせ呼び出されるなら女にしろよな」
 聞き覚えのある声に振り返ると、同じクラスの男子生徒が早乙女くんを引き連れてやってくるところが見えた。どうやら彼らもこの場所にいて、そうして早乙女くんを呼びに行ったらしい。
 早乙女くんが人込みを抜け、男子の前へと歩み出た。
「おれが早乙女乱馬だけど、おまえなんだよ」
「なんだ──だと? 貴様、このおれを忘れたとでもいうのかっ」
「忘れたって言われてもなあ……」
「────っ!」
 知り合い、じゃない……わけ?
 でも、相手の子は明らかに怒ってる。ものすごく怒ってる。
 あたしは思わず前へ出て、こっそり早乙女くんの近くに寄って訊ねた。
「──ねえ、早乙女くん。あの人、誰なのよ。知り合いじゃないの?」
「知らねーよ、そんなこと言われても……」
「だって、名指しで呼んでたじゃない。それに、すっごく怒ってるみたいよ」
「だな」
「だな……って。あんたね、そんな気楽に──」
「早乙女乱馬っ、貴様、おれを無視して女と会話するとは、いい度胸じゃねえか」
「話しかけられて無視するわけにいかねーだろーが」
「ちょっと、あたしのせいみたいに言わないでよっ」
「別におめーのせいだとは言ってねーだろ」
「言ってるみたいなもんじゃないっ」
「そこの女っ! 男と男の勝負に口出しはやめてもらおうか」
 指を突きつけて、彼が叫んだ。ギラリっと鋭い目がこちらを睨んでいる。
 身がすくんだ。
 すごい気だ。
 思わず一歩下がる。
 すると、逆に早乙女くんが一歩前に出て、あたしの前に立った。
「下がってろ」
「──え?」
「邪魔だから、下がってろよ、おまえ」
「そんな言い方──」
「いいから、下がってろっ!」
 いつになく強い声に、あたしは言葉を呑み込んで、そのまま後退する。
 背中からでもわかった。
 気配が違う。
 怒ってる。
 いつもの子供じみた怒りじゃなくて、腹の底から怒ってるような、気迫に満ちたオーラがあった。
 どうしたんだろう、急に。

「おまえ、名前は?」
「あくまで知らない振りをするのか、貴様」
「だから、振りじゃねえって」
「おれは、響良牙だっ!」
 そう言うと同時に、そいつは早乙女くんに向かって突進してきた。
 猪突猛進って言葉が相応しいぐらい、それはすごい勢いだった。
 周囲から、小さく悲鳴があがる。
 響良牙と名乗った男が拳を早乙女乱馬に向かって叩き込もうとしている。あたしも声を上げそうになって、でも、次にそれは驚きに変わった。
 受け止めたんだ。
 早乙女乱馬は、その男の拳を左手で受け止め、そしてその勢いを利用して横へと流し、開いている右手を握りこむと、男の腹へと打ち込んだのだ。

 息を呑んだ。
 すごい──。

 一瞬のことだった。
 あの男が早乙女くんに向かっていったかと思うと、次の瞬間にはまるで壁にでもぶつかったかのように、元いた場所で仰向けに倒れこんでいる。

「ねえ、何が起こったの?」
「……さあ、よくわかんなかったけど」
 周囲がざわめく。
 けれど、あたしにはわかっていた。
 うちは格闘道場をやっているし、あたし自身も鍛錬に励んでいる。
 だから、ちゃんと見えていた。
 彼が──、早乙女乱馬があの男に対して、連続で拳を打ち込んだ様を。
 その勢いであの男が後方へと飛ばされたことも。
 見えた。
 かろうじて。

(……あいつ、何者なの──)

 遅刻魔の問題児。
 それが「早乙女乱馬」という少年だと思っていた。
 口が悪くて、なにかにつけてあたしをからかうような真似をする、ちょっと小学生みたいなところがある、そんな奴。
 でも、それは間違いだったんだろうか。
 ううん、そうじゃない。そうじゃなくて、今まで見たことがなかった彼の一部。
 それが、今のこの姿なのかもしれない。
 緊張感の漂う中、早乙女くんはゆっくりとあの男に近づいていって、傍らに座りこむ。
「おい、大丈夫か、良牙」
「……ま、…………か」
「はあ? なんだよ」
「……貴様、思い出し……た、のか……」
「名前聞いてな。中一ん年、隣のクラスにいた響良牙だろ?」
「それだけかっ!」
 がばっと起き上がり、早乙女くんの胸倉を掴むと、鬼気迫る勢いで言い募った。
「もっと他に言うことがあるだろうっ!」
「──おれ、おまえになんかしたっけ?」
「なにか──だとっ。貴様、体育の合同授業でおれにさんざん苦汁を舐めさせてことを忘れたというのか」
「……あのな、あん時も言ったけど、たかが授業で、なんで目の敵にされなきゃなんねーんだよ」
「○△ヶ丘のことだって」
「おれはたまたま通りがかっただけだ。おれとおまえを勘違いしたのは、向こうだし。つっかっかって来た奴らを撃退して、それでなんでおれが責められるんだよ」
「あいつらと勝負するのはおれだったんだ!」
「だから、おれは売られた喧嘩を買っただけだ」
「貴様のせいで、おれは勝負に逃げた負け犬扱いされたんだぞ」
「おれの知ったことじゃねえ」
「やかましい! おれはおまえを倒し、そして汚名を返上しなければならんのだ」

 なによ、あれ。
 さっきまでの緊迫した雰囲気が徐々に崩れ、口喧嘩を始めた二人の横を通り、みんなはぞろぞろと帰りはじめる。そうしてしばらくすると、そこに残っているのは、あたしと、あの二人だけになってしまった。
 はあ……。
 なんだか力が抜けた。
 あのピリピリとした空気はなんだったのよ、もう。
 あたしも二人に背を向けて、校舎へ向かった。教室にカバンを置いたまんまだからだ。
 委員会はきっと終わってしまっているだろう。途中で抜け出してきちゃったけど、なにか進展があったかどうかは、帰ってからなびきおねえちゃんに聞こう。
 見返り、要求されるかもだけど……。

「あ、あのっ──」
「はい?」
 声に振り返ると、あの男の子がこちらを向いて立っている。
「さっきは、すまなかった。キツイ言い方をして、悪かった」
「…………いえ、別に」
「いや、本当にすまない」
 そういって頭を下げる。
 さっきまでと違って、随分とおとなしくなってしまった。
 頭に血が昇っちゃうタイプなんだろうな、きっと。
「いえ、いいんです。でも、あんまり校内で騒がないでくださいね、えっと……」
「響です。響良牙」
「あたしは、天道あかね。そこの早乙女くんのクラスメート」
「そうですか……」
 そこで彼──響くんはちらりっと早乙女くんを見る。早乙女くんは「なんだよ」って顔で返す。
 なんだろう、あの雰囲気は。
「じゃあ、あたしはこれで。あ、早乙女くん。明日、遅刻しないようにね!」
「うるせーよ」
 早乙女くんの声を背中に聞きながら、あたしは昇降口へと足早に向かった。



 響良牙と名乗った、早乙女くんの昔の同級生らしい彼は、以降も早乙女くんに喧嘩をふっかけては惨敗し。二人の勝負が風林館高校の名物のひとつになっていくのは、もう少し、後の話。