Snow White Chapter 9  目覚めの朝
 




「もし、大丈夫か」
「…………」
「うーむ、どうしたものやら」
「…………?」

 声が聞こえました。
 あの、王子の声です。
 よかった。王子様は助かったんだ。
 あかねは安堵しました。
 そして気づきました。
 安堵?
 どうしてそんな感情が生まれるんだろう?
 今、どうしてこんな風に考えることができるんだろう?

「……どうして?」
 疑問が口をついて出ました。
 自分の声が聞こえました。
 そして、それに対する声も。

「おお、気がついたのか」
「──王子、様?」
「僕のことを知っているのか。うーむ、さすがは僕」
「……はあ」
「ところで、何故僕はこんな所で寝ているんだろう。して、おまえは何をしているのだ、小人よ」
「えっと、その──」
 まさか、昨日死んで生き返ったばかりですとも言えず、あかねは悩みました。そのうえ、何をしているのだと訊かれても困ります。だって自分は王子と引き換えに死ぬはずだったのに──
「──あの、つまり。…………小人?」
「迷子か。うむ、思い出したぞ。そういえばたしか昨日、小人の家族に会って道を尋ねたんだったな。あの家族の一員だな」
「えっと、あの」
 王子の背が急に伸びました。
 いいえ、違います。王子が立ち上がったのです。見上げてみて、あかねは驚きました。
 枝が、昨日よりもはるかに高い位置にありました。木の葉の合間から見える空も、とても遠いです。
 あかねはおそるおそる立ち上がってみました。手も足も動きます。自分の力で立てるようです。
 ぐるりと頭を回してみます。五体満足です。ただひとつだけ違うことがありました。
「……あたし、小人なの?」
「どうした、小人。記憶喪失か?」
 その時、風が吹きました。  人の耳には聞こえない声が、風のざわめきに乗せて届きます。


 森の主様、あたしはどうしてここにいるんですか?
 それはお嬢さんが望んだからであろう。
 だけど、あたしは王子と運命を取り替えたんじゃないんですか?
 その通り。運命は正された。
 では、何故あたしは生きているんですか。しかも、こんな風になって。
 それはお嬢さんが願ったからであろう。

 たくさんの幸運と、たくさんの祈り、願い。
 偶然が重なれば、必然になる。
 それは運命を動かして、新しい運命を作る。
 ありあまる幸運
 ありあまる気持ち
 誰にも負けない強い心
 一緒にいたいと願ったのはあかねだけじゃなくて、
 それはきっと、みんな同じだったから。
 王子を助けることがすなわち、あかねの命と引き換えになるなどと、誰がいっただろう。
 ある意味、「あかね」は死んだのかもしれません。
 人間だった「あかね」はどこにもいなくて。
 ここにいるのは、かつて「あかね」だった「あかね」です。
 あたし、これからどうすればいいんですか?


 言ったであろう。ひとつであって、ひとつでないと。
 歩く世界によって、道は変わる。
 見える場所によって、選択肢は変化する。
 どの道を選ぶか決まっているのことが運命ではない。
 選んだ道が後に運命と呼ばれることになるのだから。




「──ということだ。わかったか、小人の少女よ」
 はっと気づくと、王子がなにやら演説を終わらせたところでした。
 こちらの返答を待つような顔をしています。
 彼の言っていたことがなんなのか、それはよくわかりません。
 だけど、あかねは答えました。
 彼に対する返答ではなく、主に対して答えたのです。

「はい、よくわかりました。ありがとうございます」





 その後、王子は頭をさすりながらも、馬に乗って森の向こうへ姿を消しました。
 ちゃんと道はわかっているのでしょうか。
 だけど、幸運をもらったのですから、きっとなんだかんだで帰ることはできるでしょう。

 帰ろう。

 あかねは思いました。

 どこへ?

 あそこへ。




   *




 一方、乱馬がまくしたてた「あかねが死ぬ」という言葉に驚いた小人一同は、だからといって夜の森へ入ることも出来ず、まんじりともしない気持ちで夜明けを待ちました。
 あかねが消えた森の入口を見つめます。
 行ってどうなるものでもないけれど、主様にお願いぐらいは出来るでしょう。
 土下座の準備も万端です。
 あかねのためならば、頭のひとつやふたつ、どうってことはないのです。
 太陽が昇ります。高い梢の先に、光が見えはじめます。
 その時でした。
 光を背中を押されるように、小さな人影が見えました。
 小人族のようです。
 だけど、どうしたことでしょう。
 その顔は、あかねにそっくりなのです。
 みんな一緒に夢でも見ているのでしょうか。
 早雲と玄馬は、互いに互いの頬をつねってみます。
 なびきは乱馬は叩いてみます。
 そうこうしている間に、あかねみたいな女の子は、一同の前まで歩いてきました。
 近くで見ると、やっぱりよく似ていました。
 人間のあかねを、そのまま小さくした感じです。
 あかねの顔をして、あかねの声で、小さなあかねが言いました。
「行くところ、なくなっちゃった」
「……最初っから出てけなんて言ってねーだろ」
「自分の部屋取られて拗ねてたの、誰だったかしらね」
「誰が拗ねたんだよ、誰が」  なびきの言葉に、乱馬は怒鳴り返します。人間だった頃に見るのと、こうして同じ背丈になって見るのと。同じだけど、同じじゃない。
 もっともっと楽しく思えました。

「おとうさん、新しいお家にもうひとつ部屋を作らないとね」
「七人分の食器を揃えたいわね」
 かすみとのどかが、嬉しそうに笑います。
 みんな、みんな。楽しそうに笑います。
 誰も何も言わないし、
 誰も何も聞きません。
 誰も確かめようとしないし、
 そうなることを、誰も疑いはしないのです。

「さあ、まずは朝ご飯にしようかね」
 早雲が言うと、あかねのお腹がなりました。
「意地汚ねーの」
「そんなんじゃないもん、ばか」
 つい口に出た言葉に対して、あかねがぺちんと腕を叩いてきました。
 でっかくて力持ちで、家の中を壊滅においやったバカ力の持ち主とは思えないほど、軽い力。
 自分より、ちょっとばかり背丈が低くて、今度は自分があかねを見下ろしている。
 そうやって見るあかねは、今まで見ていた顔とは全然違って見えました。
 ついついぼーっと眺めていると、なびきの意地悪そうな声がします。
「乱馬くーん、よ・だ・れ」
「なによ、乱馬だって意地汚いんじゃない」
 続いてあかねも言いました。だけど、その顔は意地悪そうな言葉とは裏腹に、心があったかくなるような表情です。どぎまぎしてると、玄馬が言いました。
「しかしそうなるとあれだねぇ、天道くん」
「なんの話だい、早乙女くん」
「あかねさん──っていうのも、おかしいかの。このあかねくんをどうするかという問題じゃが──」
 あかねは身体を強張らせました。
 やっぱり、受け入れてはもらえないのでしょうか。
 ぎゅっと拳を握って俯き、一歩後退します。すると隣にいた乱馬が、あかねを庇うように前に出ました。
「ここはまあ、わしらの出番じゃよな、母さん」
「そうですね、天道さんのところは女の子二人もいるんだし」
「それに比べるとわしらのところは、がさつなドラ息子が一人じゃ」
「あー、ちょっとずるいんじゃないのかい、早乙女くん」
「──な、なんの話してんだよ」
 乱馬が割り込んで訊ねると、何を今更といった風に大人三人は言いました。
「どっちがあかねくんの親になるかの話に決まっておろう」
「乱馬、あなたも一人っ子じゃなくて妹が出来るかもしれないのよ。応援してちょうだいな」
「妹?」
「男の子を育てるのと女の子を育てるのは違うんだよ、早乙女くん。その点、私の方には娘が二人もいる。年の頃も似た女同士であるほうが、なにかと便利だと思わないかね」
「そうね、おとうさん」
 親権をめぐっての争いでした。
 乱馬は脱力します。
 なんだ、心配して損した。
 玄馬・のどか vs 早雲・かすみ
 両者なかなか譲りません。
 そんな中、「あたし達の方がいいんじゃない?」と、中立な少女・なびきが言いました。
「乱馬くんの妹になんて恐くてさせられないし、万が一にも将来、惚れたの腫れたのになったとき、兄妹だと色々とややこしいでしょ」
「────なっ」
「そうね、あかねちゃんが乱馬のお嫁さんになってくれるなら、乱馬の親としても嬉しいわ」
「んなこと勝手に決めんなよな。な、なんでおれが──」
 あかねを──と言いかけて、ちらりとあかねの方を振り返ります。
 周りの展開についていけてない様子でぽかんとしているあかねは、乱馬の視線に気づき、「なあに?」と言いたげな顔で小首をかしげました。
 そのあどけない仕草に、乱馬はごくりと唾を呑みます。
「同意だってさ」
「してねえっ」
 なびきの言葉に、乱馬は赤い顔で返しました。








 むかしむかしあるところに、とても可愛らしい少女がいました。
 漆黒の長い髪。
 雪のように白い肌をしていますが、
 微笑むと、ふっくらとした頬はバラのように染まり、
 それはまるで、夕焼けに染まる薄紅色の雲のようです。
 見ているこちらも、思わず頬を緩めてしまうほどでした。

 彼女の名前は、あかね。

 背丈はもう小さいけれど、
 彼女はそれと引き換えに新しい家族を手に入れました。





















 魔の森の、もっともっと奥深く。
 小人の家があるという。
 大きな新しい家に、ふたつの家族が一緒に暮らす家。
 小さな背丈の女の子が、今日も力いっぱい扉を開きます。



  ただいま

     おかえりなさい













 ここがいつも、あなたの帰る場所になる。
























お わ り
 
あとがき