る
思い




 カポーン。

 静まり返った部屋に、ししおどしの音が響き渡った。
 障子の向こうには広々とした日本庭園がある。専属の植木屋を呼び、定期的に手入れをしているこの庭は、周囲の家に負けないぐらいの美しさを保っていると、彼女は自負している。
 美意識。
 美しいものを美しいと思う心を持つことは、大事なことなのだ。
 苔蒸した岩。
 鯉の跳ねる池に、ぱしゃりと静かに響く水音。
 大きく枝を伸ばす松と、その下に落ちる影。
 それはとても風情のある景色であり、その数々を瞳に映してこそ、日々の健やかな精神が宿るというもの。美観を損なうものなど、この家にはなにひとつ存在しない。ざばーっと、ワニのミドリガメ君が頭をもたげる水音が聞こえた。そうそう、餌をあげなくては。
 穏やかな気持ちで九能小太刀は微笑んだ。
 陽も頂点を超え、少しずつ下り始めた頃合だ。一体いつの間に時間が経ってしまったのだろうか。我知らず集中していたことに気づき、小太刀は休憩を兼ねて立ち上がった。
 ここは彼女の部屋。誰もいない己だけの空間であったとしても、身についた作法というものは乱れることはない。楚々と静かに畳を踏みしめて、廊下へと出るために障子を引いた時だった。ふわり風が運んだ花びらが部屋へ舞いこんできて、彼女は細い指をそれを取り上げる。
「まあ、一体どこから飛んできたのでしょう」
 少し上半身を傾け、ゆっくりと風の向きへ視線を促すと、左の上にまとめてある艶やかな黒髪が、そっと肩から流れる。和服と相まって、それはとても風雅な印象だった。
 この九能家では、見慣れない色をした花だった。風に乗り、どこかの家から飛んできたのだろうか。
 黒薔薇を愛でる彼女だけれど、他の花も決して嫌いではない。ただ、己にもっとも似つかわしいものが「黒薔薇」であるというだけのこと。
 花は美しい。
 もっとも、白百合にはあまりいい思い出はないけれど。
 嫌なことを思い出し、軽く唇を噛む。が、それもほんの一瞬のこと。すぐに気持ちを切り換えた彼女は、己の心を払うように吹きぬけた強い風になびく髪を押さえる。
 空へ向かう風に、小太刀は持っていた花びらを任せた。

 さあ、飛んでおいきなさい。
 わたくしの心を伴って。
 あの方のところへ。
 ああ、愛しの乱馬さま……。

 高く青い空へ吸い込まれて消えてゆく花びらをそれ以上は追わず、彼女は自室へと戻り、先ほどまでと同じように机へと向かう。
 休憩のことは忘れていた。
 いや、花を愛でることですでに心の平安を得ている。
 そのわずかな出来事が、充分に休息になっているのだ。
 微笑を浮かべ、小太刀は再び筆を取った。
 己の気持ちを書き記すために。

 いつか、この思いが、あなたに届くことを願って。







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@小太刀
彼女もまた、ある意味とてもひたむきな少女だと思うわけです。
少々言動が突飛なだけで。その気持ちは一途なものだと思います。

一旦書き上げたものが消えたので、リテイクしたのですが。
ぶっちゃけ最初に書いたものが、どういう描写を入れたんだか、記憶にありません。
だからまあ、もういいや……(遠い目)