どう
か、
隣に




 例えば通学路。
 毎朝駆け抜ける道。


 あれは雨上がりの朝だっただろうか。降られた雨に姿を変えられ、一撃昏倒で無理やり連れて行かれた天道家にそのまま居候したあの日から、気がつけば月日は過ぎていた。
 気の強い、どこまでも相性が悪そうだったあかねとは、特別なにか用事でもないかぎりは、毎朝一緒に登校しており、許婚という特殊な関係を周りに面白がられることもなくなった。なにもかもが当たり前になり、日常となった毎日は、修行に明け暮れていた日々に比べるととても平凡で、けれど楽しい生活だ。なにしろ衣食住の心配がないのである。それはとてつもなく貴重でありがたいことだった。その点は父親に感謝──いや、感謝の対象は父の友人だろう。
(おじさんも苦労性だよなー)
 三人の娘に、迷惑な師匠。そしてちゃらんぽらんな友人。
 自分を棚に上げて、早乙女乱馬は天道家当主の心根を案じる。


 天道家という場所は、特別な場所だった。
 幼い頃から旅ばかりしていた自分にとっては、「家」というものにあまり執着がなかったように思う。旅先で住んでいた家だってあるけれど、それにしたって寝食をする場所であり、父親と二人では世間一般でいうところの「あたたかさ」であったり、「やすらぎ」という単語とは無縁だったように思うから。だからこそ、今居る「家」は、今まで知っていた「家」とは違っていて。毎日騒がしかったり、ひとつ上のなびきにはいびられたりもするけれど、「家庭」という特別な温度を、自分に教えてくれたように思う。言葉が難しくて、上手く伝えることは出来ないけれど、心ひそかに感謝しているのだ。
 その筆頭にいるのが、今、フェンスの下を並走している許婚・あかねだろう。
 意地っぱりで可愛くない性格の彼女は、自分に対して決して優しくはない。むしろ己以外の人物に対しては、とても態度が柔らかいと思うのは気のせいだろうか。
 遠慮がないという意味では、自分も同じだとは思う。そうすることが出来る間柄であることは、いいことだとも思う。出会った頃も、それはもうツンケンした態度だったけれど、同じ「怒る」にしても、昔と今では全く違うから。
 あの頃よりは自然と縮まった距離を、ふとした時に思い返してみて計る。
 過ぎた時間とは反比例で縮まったのは、心の距離。
 だからこそ、もう少し優しくしてくれたっていいのではないだろうか。
 まったく本当に、この許婚は可愛くない。
 ふと笑い声が聞こえて目をやると、あかねが小さく笑っている。
「なに笑ってんだよ」
 今まで考えていたことをまるで見透かしたように笑われて、乱馬はむっとする。フェンスから降りて、路上を走りながら訊ねると、
「べっつにー、なんでもないわよ」
 そう素っ気なく前を向いたままであかねは答えた。
 ほらみたことか。まったくもって、かわいくない態度。
 唐突に怒ったり、不機嫌になったり。
 そのくせ、自分以外にはとても愛想がよかったり。
 あかねの態度はいつも解せない。
 今までのことを思い出してはさらにむっとする乱馬をよそに、あかねは走る速度をあげた。
 急に止まったり走ったり歩いたり、身勝手で忙しいけれど、その一挙一動に合わせようと、身体は動いている。その事実を不思議に思わないぐらい自然に。
 それこそが、さっき考えていた「反比例の距離感」か。
 まあ、いいか。
 基本的に楽観主義の彼は、前に向き直る。
 目の端に許婚の姿を捉えながら、余裕を持った走りを保ちつづける。

 前に進もう。
 まだまだ先は長いから。
 時間が経てば経つほどに、縮まっていく物があることを、今の自分は知っているから。
 このまま走り続けよう。広がる未来への道を、これからも。
 そしてその隣に、あかねがいればいい。
 願わくばずっと。








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@乱馬

止まっている話で書きたかったことの一部を、持ってきてしまった……。
なんだかんだいいつつ、いつも二人でいる姿が「乱あ」の醍醐味だと思う次第です。