同じ
歩みを




 例えば通学路。
 毎朝駆け抜ける道。



 金網の軋む音を横耳にしながら走ることに違和感を覚えなくなったのは、果たしていつの頃からだろうか。
 許婚なんだから、あんたが学校まで連れて行きなさいよ──と、姉に言われて仕方なく一緒に登校して以来、朝の通学は常に乱馬と共にある。だって同じ家だし、というのはただの言い訳に過ぎない。なびきと登校することは少ないからだ。これにも理由があって、それは乱馬がなかなか起きないからだとか。だけどそれを言うと、変なからかいの元になってしまう気がして、あまり口にしたくない。もっとも、今更なにを恥ずかしがるのだと、呆れられるのかもしれないけれど。

 リズミカルに響く音。
 それに遅れまいと逸る自分の足。
 おかげで以前よりも走る速さはあがったのではないかと思っている。乱馬に付き合っていると、バタバタと走りまわることがとても多いからだ。もともと運動は得意だし、脚力には結構自信がある。乱馬が来てから、それに磨きがかかったような気がするだけだ。嬉しいような、そうでもないような。
 女だから、とか。そういったことにピリピリとしていた頃に比べると、「男なんかに負けない」という強がりににも似た気持ちは少なくなったと、あかねは自覚する。世の中にはどうしようもないことがあるのだ、こればかりは変えられない。自分が女であることは変えられないのならば、女であることを──「女だからこそ」のことを学び、受け入れ、成長していけばいいだけのこと。
 思ってはいてもなかなか実行できないのだけれど、それでも昔に比べれば、無駄な強がりをしなくなった分、心の負担は減ったと思っている。
 軽くなった分、足も早くなっただなんて、物理的にはおかしな論理だけれど、精神論としては間違っていないと思う。だって背負っていた重りを取り上げて自分の物にしてしまい、その分遅くなったのが乱馬だからだ。
 ちらりと横目でフェンスの上を見ると、自分とほぼ変わらない位置に乱馬の姿。まっすぐに前を見て、特にこちらを注視しているようには感じられない。身軽でひょいひょいとどこへでも行けるはずなのに、遅刻だ遅刻だと言いながらも、一人で先に行こうとはしない。出会ったばかりの頃ならば、遠慮して、こちらに「合わせる」ことなんて、していなかっただろうに。

 自分が急に立ち止まったとしたら、戻ってきて文句のひとつでも言うだろう。
 なにやってんだよ、と。
 先に立ったまま、その場で問いかけるだけではなく、わざわざ戻ってきてから文句を言う。
 同じ言葉でも、その意味は全然違うように思える。
 そう考えるとおかしくなって、笑いがもれた。

「なに笑ってんだよ」

 聞きつけたらしい乱馬がフェンスから降りて、路上を走りはじめる。

「べっつにー、なんでもないわよ」

 前を向いたまま、あかねは答えた。



 ぐんと、踏み込む足をほんの少し強めてスピードを上げると、乱馬の足も早くなる。
 追い越すこともなく、だからといって近づきすぎることもなく。
 一定の間隔でもって、それでも隣を駆け抜ける、まっすぐにどこまでも。

 前に進もう。
 広がる未来への道。
 その隣に、乱馬がいること。
 これからもずっと、そうであれば嬉しいと思う。







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@あかね
4のあかね視点。
全体を通して、あかねは精神的に強くなったなーと思う。
女のが強いよね、心はさ。
乱馬は、あかねに対してはヘタレでいいよ(笑)