せない

 離




「いらっしゃーい」

 ガラリと開いた戸に対し、元気良く声をかけた。
 どんな時も、お客さんに対しては笑顔を。
 それが久遠寺右京の商売哲学だ。


「腹減った〜。なんか喰わしてくれよ」
「なんや乱ちゃん、情けない声出して」
 だらけた顔で現れたのは、彼女の幼なじみして許婚の早乙女乱馬だった。まだ込み合う時間前だし、一通りのお客さんも帰った後の小休憩タイム。お客のいない店内を慣れた足取りで進み、情けなく肩を落としたままふらふらとカウンター席についた乱馬に水を渡しながら、右京は苦笑を浮かべる。
「どないしてん。なんぞあったんか?」
「別にー」
 憮然とした顔で水を飲み干すと、テーブルに突っ伏した。いつも無駄に元気な乱馬にしては、少々覇気に欠ける。右京は頭を捻り、思い出した。そういえば今日の学校。ちょうど下校時刻辺りにひょっこりと現れた良牙に、喧嘩をふっかけられていたような気がする。乱馬を中心に騒ぎが起こるのは毎度のことだし、相手が方向音痴の良牙ともなれば、いつ、いかなる場所で出くわすかわからないのだから、別に珍しいことでもない。そもそも相手が良牙なのだ。「乱ちゃんが負けるわけない」と、勝敗の行方など気にもならなかった。それよりも店の準備の方が遥かに大事だったのだ。
 そこで何かあったのだろうか?
 乱馬の様子から、ふと右京はそう思った。
 最初の声は元気だった。こんな風にだらしのない態度を取るのも、わりといつものことだ。闘いにおける乱馬はとても迫力があるけれど、普段はわりと呑気である。
 疲れている──というよりは、なんだか気落ちしているようにも見えるその姿に、新しい水を継ぎ足しながら、右京は乱馬の頭をぺしりと叩いた。
「こんなところで落ち込んどらんと、しゃんとしぃーや。うちのお好み焼き食べたら、疲れなんてあっという間に吹き飛ぶでー!」
「別に落ち込んでなんてねーけど」
「それやったらそないな顔せんと、笑っときー。ほれ、今日はうちが奢ったるさかい、好きなもん喰わしたる」
「……じゃーなー」

 告げられたメニューを用意しながら、なんでもなかった振りで、何も気づいていない顔をして笑って、声をかける。
 ただ、当たり前みたいに。
 左腕の怪我にも気づかない振りをしておくし、顔の傷の手当てもやめておく。
 それはきっと、自分の役目ではないのだから。
 自分の出来ることは、こうやってお腹いっぱい食べさせて、他愛のない軽口を叩き合って、束の間の休憩を与えてあげることだけ。
 気分を少しでも落ち着かせて、帰ってもらうため。そもそも乱馬自身、まっすぐ家に帰る気持ちになれなくて、──あかねに心配をかけたくなくて、ここへ来たに違いないのだから。

 だから、せめて。
 頼られたことを嬉しく思い、
 知らない振りをして、
 今、「此処にいる」こと。

 それだけだ。


 うちって、ほんまにええ奴やなぁ。


 煙の向こうで苦笑いを浮かべる自分を、乱馬はどう見ているだろう。きっとこちらが想うほどには、見てはいない。頼られることは嬉しいけれど、それがひそかに相手を傷つけているなんて、予想もしていないに違いない。
 でもそれは承知の上だ。
 それでもいいのである。
 だって、あかねには出来ないことが自分には出来る。
 それは純粋に「料理の腕」がどうとか、そういうことではないのだ。あかねや、シャンプー。彼女達とは違うスタンスで、異なった種類の近しい心、距離感。それが自分と乱馬の間には存在する。
 言葉で説明出来る類のものではない感情の共有。
 それは、右京の──幼なじみの特権だから。

(この位置ばっかりは、譲られへんなぁ、あかねちゃん)

 負けられない──、負けたくない気持ちを抱きながら、でもこうやってふとした時にあかねに対して遠慮をしている自分は、すでに負けている気もするのだけれど。
 なかなか踏み込めないでいる距離間にやっぱり苦笑して、右京は気合いと共に大きなスペシャルお好み焼きを裏返した。






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@右京
幼なじみの悲哀
「幼なじみ萌え」の私ですが、右京には萌えません(笑) ごめんヨ、うっちゃん。

そもそも、このお題をチョイスしたのは、この話が書きたかったからです。
あとのやつは、こじつけです。