風鈴の音
01.風鈴の音




 帰り道。
 いつもと違う道を通った。
 そうたいして遠い場所でもないはずなのに、
 慣れない道と、見慣れない家並のせいで、
 どこか知らない町に迷い込んだかのように思える。
 そして、そんな風に感じる自分が不思議に思えた。
 旅から旅への、渡り鳥生活。
 一所へ落ち着いたことなんて、そんなになかった。
 新しい場所へ行って、
 新しい場所で生活をする。
 至って普通で、当たり前のこと。
 同じ場所にいることの方が、返って居心地が悪いような気がしていた。
 こんな風に「見慣れない風景」にも物怖じすることなんて、なかったはずなのに。

 チリン……

 鈴の音が聞こえて硬直した。
 おそるおそる振り返る。
 身体を強張らせたまま、視線だけで周囲をうかがう。
 どこだ、どこにいる。
 生唾を呑み込んで、右足を半歩引いた。
 ゆっくりと腰をおろす。
 いつでも逃げ出せる体勢。

 チリン

 二度目に届いた音で、眉を寄せた。
 鈴の音じゃない。

 猫……じゃねえのか。

 それでもまだどこか用心しながら、ゆるゆると視線を泳がせる。
 緑が茂りはじめた木。
 木々に覆い隠されて見えない塀。
 ちらりと覗く瓦屋根。
 電柱が落とす影に、鉢植えの影が重なる。
 誰もいない道には、彼一人しかいない。
 ざわりと大木が揺れた。
 影の形が、ぞわりと変わり。
 そうしてまた、あの音がした。

 チリン


 風鈴?
 その言葉に思い当たって、首を傾げる。
 随分と時期外れだ。
 まだ夏どころか、梅雨にすらなっていないというのに。
 気が早いのか、それとも単にずぼらなだけなのか。
 どちらにせよ、日が落ちると少し肌寒く感じることもあるこんな時期に聞くそれは、
 涼やかさよりは、物哀しさを感じさせる音だった。

 ……チリン

 どこから聞こえるんだろう?
 静かな住宅地。
 空家かもしれない住宅が並ぶ界隈。
 そのうちのどこかが、吊り下げたまま越していった、忘れ物なのかもしれない。

 此処にいる。
 ボクはまだ此処にいるよ。
 忘れないで
 思い出して
 覚えていて


 誰もいないところから、ただ聞こえる風鈴の音。
 あかねが聞けば、さぞかし恐がるに違いない。
 教えてやろう。
 夜も更けた頃に、こっそりと。

 楽しいことを思いつき、足取りも軽く走りはじめる。
 風が吹く。
 鈴が鳴る。

 チリン──

 高く、透き通るように。