天と地と 第一章
第一章 天を継ぐ者
ここであって、ここでない場所。
そんなどこかにひとつの国があった。
そこは太陽の国。
太陽の庇護を受け継ぐ国。
天に最も近い国の王には、三人の娘がいた。
「今日もいいお天気だ。なあ、おまえたち」
広間の窓から降り注ぐ陽光に瞳を瞬かせ、そして眼前の娘たちに笑いかける。
「そうですねえ、お父様」と微笑むのは長女かすみ。穏やかな微笑みは、誰の心をも癒してくれる。
「雨が降る方が異常事態よね」と肩をすくめるのは次女なびき。ストレートの髪が、それに合わせてさらりと流れる。
もうひとつの返答を求めて視線を這わせた父親は、なびきの隣──なにもない空間に眉根を寄せ、不思議そうに問いかけた。
「──あかねはどうしたのかね?」
「あかね様、どちらにいらっしゃいますか?」
「あかね様〜」
足早に廊下を抜ける音を、身を潜めてやり過ごす。気配が去ったのを感じ取り、さらに五秒ほど待ってから少女は姿を現わした。侍女が去った方角を見やり、そして重い息をつく。肩を落とし、その仕草で長い艶やかな黒髪が、頬をかすめ流れ落ちた。
どこか苦しそうな顔で、小さく唇を噛む。
窮屈だ。
周りの声が、時として棘のように感じられる。
そして、そんな風に感じている自分が嫌になる。
(……どうして……)
胸中で呟く。
どうして、あたしなんだろう……。
天の道
太陽へと通じる道。
ここはもっとも「天」に近い国だ。
人々は太陽を求め、そしてその安らぎを与えるのが王族の務めだった。
父・早雲は、気安い人柄で民の信頼を得ている。少し情に脆く、娘に甘いところを除けば「名君」といっても差し支えはないであろう信用がある。
そんな父に育てられた娘もまた、周囲の評価が高い。
善行を成し、王妃亡き今、十二分にその代わりを行っていると言われている長女かすみ。
冷静沈着な思考で無用な争いを避け、治世を築くことに貢献している次女なびき。
明るく、何に対しても真剣に取り組み最善を尽くそうとする三女あかね。
天道の名を冠する彼らは、皆、民に好かれていた。
王族といっても城に引きこもっているわけでもなく、気軽に城下へと行き来する。
人々にとって彼らは、もっとも近しい「神」だった。
「神様なんて崇められたって、嬉しくないわよね」
そう言ったのはひとつ上の姉なびきだったが、姉はそれに値することをやっていると、あかねは思った。それはなびきだけではない。母代わりともいえるかすみには、きっと永遠に敵わないとさえ思う。
偉大な父と姉。
それに対して、なんと自分は情けないのだろうか──
それを口にすることは出来ない。
そう言うと、きっと周りはこう言うのだ。
「なにを言っているの。あかねには大事な力があるじゃないの」
ちっとも大事なんかじゃない。
いや、力自体は大切なものだと思う。
けれど、それを受け継ぐのは自分には相応しくない。
だって、自分もまた「欠落者」なのだから──
何かに秀でているかわりに、何かに劣っている者。
その落差が激しい者を「欠落者」という。
だからといって、欠落者が敬遠されるというわけでは決してない。むしろ、秀でた力の素晴らしさに歓迎されるべき存在だ。ただ、なまじ秀でているだけに「欠けた部分」が浮き彫りになってしまう――普通の者ならばたいして気にならない差異も、浮き彫りになってしまう。
それだけだ。
故に、彼らは思うのだ。
この欠けたものを埋めることが出来れば――……
ここで現れるのが、その願いを聞き遂げる神様。
天の神は言った。
「天の道を継ぐ娘よ、そなたがもっともその力が必要だと思う者に、光明を与えよ」
欠落者に対して与えられる一筋の光――「光明」。
その人に欠けたもの──欠けてしまっているものを補うことができる、この世で唯一の力が「光明心」だ。
代々王家に受け継がれる能力──あかねの母が持っていた力を受け継いだのは、末娘のあかねだった。
その日から、周囲の見る目が変わったような気がする。
なにをやっても許容されているような──そんな気がしている。
自分には手先の器用さが欠けていることは、自分はもとより周知の事実であるにも関わらず、その不器用さをいかんなく発揮した事態に、誰もが皆享受するのだ。
なにをやっているんだと怒られたほうが、どれだけいいだろう。
許されるたびに、心の声が聞こえてくるようだった。
「仕方がない」
「いいじゃないか」
「だって彼女は『光明心』を持っているのだから」
その力があるから、自分は存在を許されている。
偉大な父姉と同じ立場にいられるのは、自分にその力があるからだ。
なんの取り得もない自分が同列に扱われていることに、あかねは苛立ちともどかしさと、みじめさを痛感していた。
あかねに力が宿っていると知るやいなや、天の麓に住む人々――その中で、名をあげている「欠落者」達がやってくるようになったのは、当然の成り行きであろう。
「光明心」を求めて、彼らはやって飽くこともなくやってくる。そんな彼らのことを、父親は素直に喜んでいるようだが、あかねは納得がいかなかった。
彼らが求めているのは光明――功名だ。
この世で唯一、欠けたものを補うことができる力。
そして、それを与えることができるただ一人の人間であるあかねに近づいているだけ。
そう、自分はその手段に過ぎないと感じていた。
今日も今日とて、男達がやってくる。
「我が麗しのあかね殿」
朗らかな笑顔で近づいてきて、こちらの返答も聞かずに手を取るは帯刀。
「貴様、あかね様に触るな!」
牙を剥くように詰め寄ってこようとするバンダナを巻いた男・良牙と、無言で帯刀の手をどかそうとする真之介。
その背後でおそるおそる見守っている、どことなく青白い少年は光。
それぞれに「欠落した者」だ。
「貴様達こそ、いい加減にあきらめたらどうなのだ。我が剣に敵うとでも思っているのか」
「そうやって剣に頼ってばかりいる貴様など、おれの拳に負けるのを恐れての言い訳だろうが」
「この九能帯刀を愚弄するかっ、表へ出ろ!」
「ふっ……、今日こそは決着をつけてやろう」
「――おい、おまえ……、なんだっけ?」
「良牙だ。いい加減覚えろ」
あかねを無視するように、眼前の男たちは言い争いはじめる。
いつもこうだ。
彼らは争ってばかりいる。
自分こそが――という気概だけを前面に押し出している。
九能の進行方向とは正反対の方角へと走り出した良牙の背中を見ながら、あかねはまた溜息をついた。
帯刀。剣技に長けているけれど、節度に欠けている男。
良牙。腕力に長けているけれど、方向感覚に欠けている男。
真之介。正義感に長けているけれど、記憶力に欠けている男。
光。呪術に長けているが、体力に欠けている男。
この中から、光明心を与えるべき者を見出すのが自分の務めであることはわかっていながら、どうしたらいいのか、あかねにはよくわからなかった。
男達の視線を避けるようにして、あかねは広間からそっと抜け出した。
残っているのがあの二人ならば、居なくなったとしてもそうそう事を荒立てることはしないだろう。
城の長い回廊を抜け、自室へ戻ったあかねは「少し休みます」と侍女を下がらせ、寝室の扉ではなくクローゼットを開けた。その奥から一着の服を取り出すと、手馴れた様子で着替える。
柔らかな布地のドレスがすとんと床に落ち、足を抜いて着古した色合いの簡素な服を被る。
城の部屋からは浮き立った、町娘の扮装となったあかねは、そのままテラスへ向かい、手馴れた様子で縄梯子を下ろした。
生い茂った生垣に隠れるようにして、足早に裏手へと向かう。
わずらわしさに耐え切れず、あかねは街へと降りたのだ。
今日は市が立っているせいなのだろうか──いつも以上の賑わいを見せている。人の波に沿うように道を進んでいった。
特別どこかへ行くあてがあるというわけではかった。
単なる気晴らしに過ぎない。
市勢を知ることも大事であると、父はよく言う。そういった意味では、一番「市政」を知っているのはなびきだろう。市場の管理をはじめとした商業は、なびきの管轄だったから。
結局、やはり自分はなにも知らないし出来ていないんだと思い知る。
気晴らしどころか、気負いになりかねない。
その時だった。
広場の方向からどっと歓声があがった。
賑やかな笛の音に合わせ、太鼓の音が響いてくる。
(祭りの時期にはまだ早いんじゃないのかしら?)
それでもその人だかりに吸い寄せられるように、あかねの足は自然とそこへ向かっていった。
人垣が高すぎて、なにがあるかよくわからない。その場でジャンプするけれど、到底追いつく高さではない。見えないとなると、妙に気になってしまうもので……。あかねは辺りを見渡し、そして人垣の向こうにある堀を見つけ、そちらに向かった。
胸の高さほどの塀に手をかけ、反動をつけて上がる。
城の侍女が見れば「お止めください」と血相を変えるだろうと思うと、自然と顔に笑みが洩れる。昔から飛んだリ跳ねたりと、まるで男の子のようだと称されていたあかねであるから、この程度のことはどうというほどのことでもないのだけれど、「天道のあかね姫」ともなると、そうそうはしたない真似も出来ない。供も連れず、一人でいるからこその行動だった。
人の頭の向こうに、馬車とテントと──そして踊り子の姿が見えた。
旅芸人だ──。
目を見張って、あかねは呟いた。
天に通じる国であるというせいか、国民以外には立ち入りにくい場所だと認識されているらしい。
「ちっともそんなことはないのにね……」と、かすみが少し寂しそうに教えてくれたことがある。他国のことはよくわからないけれど、この国決して敬遠されるような場所ではないと、あかねはそう信じている。
開かれた国を作ろうと、皆が努力しているが、一度広まった認識を覆すのには、そう簡単ではないのだ。
そんな噂があるせいか、こういった旅芸人がやってくることはかなり珍しい。
もう、一大イベントとも言えるかもしれない。
一段高いところから見下ろすからよくわかった。
観客はみな、楽しんでいた。
喜んでいた。
あかねもなんだか嬉しくなってくる。
幼い頃、家族全員で見た「雑技団公演」を思い出して、懐かしい気持ちでいっぱいになった。
長い丈の衣を来た男が進み出て、袖口から大輪の花を咲かせ踊り子へと捧げる。優雅に笑った踊り子は、受け取ると見せかけて、彼の横を素知らぬ顔で通り過ぎた。がっくりと膝まづく男の姿に、笑い声がおこる。
からかいの声、応援する声が混じる中、立ち上がった男は今度は大量の風船を放った。
一体どこに仕舞ってあったんだろう。
天へ昇っていく風船を自然と目で追い、背を反らせる。
半歩、後ろへ下がり、そしてその足元が崩れる。
(──しまった──!!)
さほど高いわけではない塀だけれど、このまま落ちると大変かもしれない。
黙って街へ抜け出してきているといのに、怪我でもすればまずいことになる。
反射的に受身の体勢を取り、それでも衝撃に目を伏せたあかねだったが、その身体がなにかに受止められた。
予想外の衝撃に、固く閉じていた瞳をおそるおそる開ける。明らかになった視界に、見知らぬ顔が映った。
「だいじょうぶか、おまえ」
それが、少女と少年の出会いだった。
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