格闘クッキング
 

   格闘クッキング




『365日の料理』
『100円で出来る一品』
『簡単・お弁当のおかず』
『ケーキの本』
『誰でも出来るお菓子作り』
『低インシュリンダイエットのススメ』
『チョコレートを使ったお菓子』
『健康な身体を作るために』

 ずらりと並ぶ料理本。天道あかねは、一冊手に取っては戻し取っては戻しを続けている。表紙に写る見事なまでの料理に目を奪われては溜息をつき、力なく棚へ戻す作業をもう何度繰り返しただろうか。
 こんな時、うしろから「んなもん見たって無駄だ」とか「おまえみたいな不器用な女に出来るわけねえだろ」だのと腹立たしい台詞を口にする男は、幸いなことに今はいない。
 まあ、居ないからこそこうして眺めているわけではあるのだが、乱馬が居ようと居なかろうと、自己嫌悪が渦巻くことには変わりはない。
(あたしだってちゃんとやれば普通に出来るもん)
 出来たためしのない言葉は虚しく響くだけである。
 明日は土曜日。
 祝日と重なって二連休になる週末だ。
 ここはひとつ何か作ってみようかと、こうして本屋に足を運んだのだが、中に入ってかれこれもう一時間は経過していた。
「……どうしよう」
 ぽつり、言葉が洩れる。
 いつまでも悩んでいたって仕方がない。そうよ、こんなのは勢いよ!
 むんずと掴んだ薄めの本「誰にでも出来る初歩のお菓子 入門編」を握り締め、彼女はレジに向かった。




    *




「あんたまたそんなの買ったの?」
「またってなによ、またって」
「腐るほど持ってんじゃない」
「あれとは別の本だもん」
「こりないわよねえ、あんたも」
 手にしている本を見たひとつ上の姉・なびきは、呆れたように言葉を吐く。いつものことながら、この姉の言うことはどこまでもシビアだ。
 容赦がない。
「あれは止めたの? ほら、精進料理」
「──いいじゃない、別に」
「まあ、無難な選択よね」


 少し前、あかねは精進料理なるものに燃えていた。
 健康にいいじゃない
 掲げた理想は立派であるが、味も立派だった。
 どれもこれも、素晴らしく味が濃かったのである。
 これでは「精進」もなにもあったものではない。
 それ以来、その「今日からの精進料理」は棚に刺さったままとなっている。
 普段の食卓に並ぶような料理を作ったとしても、かすみにはかなわない。だから、彼女は今度はお菓子作りの方に心血を注ぐことにしたようである。


「明日作るんでしょ、どうせ」
「どうせって、なによ」
「ま、せいぜい頑張って、乱馬くんに食べてもらば?」
「別に乱馬のために作るんじゃないわよっ」
 途端、むっとする妹に、はいはいとおざなりに返事をして自室に入りながら、さて明日は一日どこで時間をつぶそうかしらと考えはじめた。




   *




 翌日、心置きなく朝寝坊をし、眠い目をこすりながら起きだした早乙女乱馬は「しまった」と思った。
 かすみが出かけることは聞いていた。
 だが、夕飯までには戻るということであったし、朝食は作るというのであまり気に止めてはいなかった。
「じゃあ昼は店屋物でも取ろうかねえ」と、早雲が引きつった声で笑い、それに対して反論は上がらなかったからなおさらだ。
 家には誰も居なかった。
 父も、早雲も、なびきもだ。
 起きたばかりだというのに冷や汗が垂れる。身体を這い上がってくる、とてつもなくイヤな予感──悪寒といっても差し支えないぐらいにイヤな……それでいて慣れてしまっている感覚である。
 そろりそろりと足を忍ばせて、台所を覗く。
(──やっぱり……)
 エプロンをつけた自分の許婚がそこにいた。
 腕まくりをし、机の上には小麦粉やら卵やらがあるのが見えた。今度はお菓子かよと胸中で呟き、そしてはたと昨日のなびきの態度を思い出した。


「乱馬くん、あかねの手料理が食べられなくて残念ねえ」
「だったらおまえはあかねの料理が喰いてえのかよ」
「あら、だってあかねが作るのは乱馬くんのための料理でしょ?」
 こう言われるとつい反論してしまうのが常で、そんな自分になびきは笑って言ったのだ。
「明日は休みなんだし、昼食の心配がないんだから家でゆっくり出来るわね」
(ちくしょう、なびきの野郎、知ってやがったな)
 あの不適な笑みを見逃した自分をぶん殴りたくなる。
 誰もいないわけがこれでわかった。
 父親達に告げたのは間違いなくなびきだろう。
 そして自分は残された。

 つまり、またも犠牲にされたのだ。




   *




「よーっし」
 材料をテーブルに並べて気合をいれる。
 開いたページは型抜きクッキー。
 過去にも何度かトライしては無残な結果に終わっていることは、あまり頭にない。むしろ「あれはちょっとした予行演習、これぞ本番だったのよ」ぐらいの気持ちである。
 前回の失敗をバネに、オーソドックスにトライだ。
 めげない精神はある種見上げたものではあるが、彼女の場合の問題点は他にあるような気がしないでもない。
「はぁ──」
 瞳を閉じ、手を腰につけ正拳突きの構え。
 武道家の少女は、そうして呼吸を整え精神を安定させると、高らかな気合いとともにボウルに小麦粉をあけた。

 誰にでも出来るという謳い文句は、テキスト通りに行ってこそ成り立つ論理である。
 目分量にも程遠い量の薄力粉が、かき混ぜるたびにばふんと粉を散らす。
 水分が足りないのね、と今度はパックのままで牛乳を投入する。
 バターは固いままその中へとねじ込まれ、今度はねちゃねちゃすぎると再び粉をあける。思い出したようにベーキングパウダーを入れてみた後、バニラエッセンスを振り下ろす。
 鼻息も荒く、腕をふりまわすようにしてボウルと格闘する。──そう、料理とは彼女にとって食材との格闘に他ならない。本人の気持ちはどうであれ、気合いがすべて力へと転換される様は、見ている側にとってみれば格闘技である。
 作る側が格闘ならば、食べる側も格闘だ。
 台所から聞こえてくる気合いいっぱいの息に、乱馬は焦りを感じる。
 これはいつも以上に気合いが入っている。このままではどうなるかわからない。
 大人しく、慎重に、ゆっくりやりさえすれば、食べられない味にはならないと思うのであるが、元来不器用な上に大雑把な彼女は、なにもかもがダイナミックだ。
 時折、降って湧いたように「お弁当」を作ってみたりする。

「うらやましいよな」
「いいよなー、おまえは」
「だったら代わりに喰ってくれ」

 クラスメートに反論するのは、なにも照れ隠しのためだけではない。むしろ、喰わずにすむのならば万々歳だとも思うくらいに恐怖だ。
 生きるか、死ぬか。
 誇張ではなく、これは闘いなのである。




 逃げるか否か
 真剣に悩んでいた彼は、それに気づかなかった。
「乱馬、やっと起きたんだ」
「あかね」
「みんな出かけちゃったの、お昼なに食べたい?」
「──なんでもいいや、喰えるもんなら」
 その後にくるであろう「お菓子」を想像するだけで気が滅入っていた彼は、気もそぞろに生返事を返した。対して、あかねは笑顔で答えた。
「うん、じゃあ適当に作るね」
「──え、ちょっ……」
 予想外の展開であった。
 こんな不意打ちはあったもんじゃねえ、なんでこうなんだよ!
 作っているものがうまくいっているのか、妙に機嫌がいい。だからそんなことを言い出したのかもしれない。
 だが、上手くいっているはずなどないことを、彼は経験上よーく知っている。
 これはもう逃げる以外に手がねえじゃねえか、と腰を上げかけた乱馬に、あかねの笑顔だ。
「待っててね」
「うぐ……」

 早乙女乱馬は逃げ場を失った。





 大皿に盛り付けた……というよりは乗せたといった感じの料理──ともあまり思えないが──が、居間の机にでんとある。
 形を成していない、揚げたのか焼いたのかすら判別不能のなにかがそこにあり、さらにでろっとした液体がかかっている。
「特製ソースなの」
 ソース
 だとすれば、この鼻を刺す酸味の強い刺激臭は一体なんなのだ。
 いつも以上にものすごいシロモノがそこにあった。「見てくれは悪いけど」というけれど、そういう問題ではないことを、どうすれば彼女は理解してくれるのであろうか。
 朝から格闘していたクッキーも共に並んでいる。
 黒いのはそういう味なのか、ただ焦げただけなのか。
 訊くのが恐い。

「さあ、どうぞ」

 喰うのか?
 おれが?
 これを?


 ごくりと呑み込む唾をどう解したのか、あかねは再度食事を促す。
 何故、逃げなかったんだろうと悔いても始まらない。けれど、箸を取る勇気はなかなか湧いてこなかった。
 こういう時にかぎって、場をめちゃくちゃにしてくれる八宝斎の姿もない。
(ジジイ、こういう時にかぎって居やがらねえ)
 それをいうならこの家族だ。
 いつもいつも、自分を生贄にするのはいかがなものか。

「あかねくんはおまえの許婚だろう」
「乱馬くん、頼んだよ」

(冗談じゃねえ、これとそれとは話が違うじゃねえかっ)
 行き場のない怒りが右往左往とする中で、目の前の少女が放ち始めた怒りの波動を知覚する。
 このまま食べなければあかねは怒りのままに蹴り飛ばし、自分は空へと舞うだろう。
 そうすればこの「料理」からは逃れられるけれど、魔人と化した彼女の怒りを静めるのにどれだけの労力を要するのかわからない。さらにその後、新しく作り直すのは目に見えているじゃないか。
 どちらの料理の方がマシだろうか、と考えるのはあまりにも果てのない思考だった。
 たいした差などないだろう。
 どうせ食さなければならないのだとしたら、余計な怒りを買って苦労するよりは今ここで死んだ方がマシかもしれない。
 そう、これは、幾度となく繰り広げられている自分と彼女の「闘い」なのである。
 無差別格闘早乙女流二代目は、震える手で、大皿の山を崩し
 勝負はあっけなく着いた。


 数日後、薬屋の袋を手にし、新たな本「わかりやすい! おいしいお菓子」を小脇に抱え、レジに挑む天道あかねの姿がそこにあった。




   闘いは果てなく終わらない。

















あかねの料理。貧力虚脱灸の話で、何故そんなに野菜をガンガンとぶったぎるのか疑問だった中学時代。
その後、OVAの料理対決の話において、あかねが闘気を整え気合の声とともに包丁を振り上げる姿を見て、理解しました。

「そうか。つまり、あかねにとってこれは闘いなんや」

その時感じた「あかねの料理に対する姿勢」を書いてみたわけですが、別にファンの方々に喧嘩売ってるわけじゃあございません。結局、この二人は根っから武道家なんだなというのが、私の結論だっただけです。
最後に一言

クッキー作るのに牛乳使っちゃだめだよあかねちゃん……

【2003.07】