時の振り子
 

     時の振り子

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「あー、止まってるー」
 枕もとに置いてある時計が、止まっていた。
 どうしよう、電池なんてあったかな。
 あかねは、両手で時計を持ち、ベットの上に座り込んで唸った。
 階下へ行けば、たぶんどこかに電池くらいあるはずだ。場所がわからなければ、かすみに訊けばいい。
(でも、こんな時間に訊きにいけないよね……)
 ボーンボーンと、廊下の柱時計が二回鳴るのを聞きながら、肩を落とした。
 こんな時間になってしまったのは、テレビのせいだ。
 十時から始まった番組だけで止めておけばよかったのに、ついついその後を見てしまった。それが失敗だったことぐらい、自分でもよくわかっている。見終わった後で風呂に入り、髪を乾かしているうちに、こんな時間になってしまったのだから、自業自得でしかない。
 あきらめてあかねは、机の引出しを開けて、電池がないかどうか探し始めた。
 階下へ降りる気持ちはなかった。
(別に恐いわけじゃないけど)と、心の中で言い訳をする。
 そう、別についさっきまで見ていた「怪奇心霊特集・あなたの家にも潜む闇。手招く陰からの案内人」が原因だったりするわけではないのである。
 隣室のなびきに聞こえないように、なるべくそっと引き出しをさぐる。
 電池がある可能性は、限りなく低い。第一、部屋に持ち込んだという記憶はないのだ。なにかあった時のためにと置いてある懐中電灯はペンライトと大差ないほどのミニサイズ。使う電池は単三だった。対して必要なのは単一電池なのだから、しょうがない。
 それでも一応探してみるのが、この少女の性格なのだろう。



「これ、なんだったけ……、時計?」
 机の下。一番深く大きな引出しの奥底に転がっていたそれを見つけたのは、いいかげんあきらめようとした時だった。
 あかねは頭をひねる。
 どうしてこんなところにあるんだろう?
 それは小さな時計。
 小さいなりに、しっかりと振り子が揺れる。卓上ミニサイズの振り子時計。
 見覚えは勿論ある。たしか、昔、どこかで買ったものだ。
 随分と古い時計で、けれど「アンティーク」という価値はなさそうな外見。それを買ってきた自分に対して「あんた、もっと見極めて買わないと駄目じゃない。そんなの価値ないわよ」となびきが顔をしかめたことを覚えているし、「汚ねえな」と乱馬が呆れた顔をしたことも覚えている。
 そうだ。
 たしか、乱馬が来て、まだそんなに間が経っていなかった頃ではなかっただろうか。
 まだ、髪を切る前の自分。
 この時計を机の上に置いて満足気に笑った顔が、その隣にある鏡に映って、今度は自分で自分の顔に笑ってしまった。
 長い髪をかきあげて笑ったことが、そう。たしかにあった。

 古い時計。
 電池ではなく、螺旋巻き式の時計だ。
 止まっているのは当然かもしれない。今の今までこの存在を忘れていたのだから。
 買った時は、あれほどまでにワクワクしていたはずなのに、こんな簡単に忘れてしまうだなんて……。
 自分の記憶力にいささかの疑問を感じつつ、あかねは時計を手に取った。
 動くかな?
 裏を返してみれば、そこに小さな螺旋巻きが差し込んだままになっていた。それをギリギリと回す。随分と固いけれど、彼女は握力と腕力にものをいわせて巻き上げた。机の上に置く。指先でそっと振り子を左右に揺らせてみた。
 軽い振り子が予想外に大きく振れて、右の側面にぶつかる。その衝撃で方向がわずかにずれ、斜めに揺れる。やがて円を描くようにして軌道修正し、左右の揺れへと戻った。その間に早かったスピードもだんだんと落ち始め、左右に揺れる頃にはゆっくりとした振り子へと移行している。
 しばらく待ってみた。
 まだ、動かした時の力で、その余力で揺れているだけかもしれないから。

 コツ、コツ、コツ、コツ

 振り子は、揺れている。

 コツ、コツ、コツ、コツ

 眺めているうちに、時計の長針がほんの少し角度を変えた。

 動いてる。
 使える。

 安堵の息を洩らし、なんとなく嬉しくなった。
 不器用なこの少女は、なにかを修理するということがあまりない。
 分解をして、それが決定打となって再起不能と化したことも一度や二度ではないどころか、それがほとんどである。
 そんな自分が、動かなかった時計を直した。
 螺旋を巻いただけにしろ、直したことには違いない。


「おまえみたいな不器用なやつが、やるだけ無駄ってもんじゃないのか?」


「御覧なさい、あたしだって、やろうと思えばできるんだから」
 乱馬の声がよみがえって、あかねは小声で呟いた。
 呟いてから、ふと首を傾げる。
 乱馬のあの言葉。
 いつ聞いたんだっけ?
 似たようなことはほぼ毎日だけれど、どこかに違和感を覚えた。
 なにか、もっと違うニュアンスを感じる言い方で、なんだか乱馬らしくないと、何故かそう思えた。
 不器用だのかわいくないだのは、出会った頃から言われつづけていることだ。過剰に反応することもなく、受け流すようになったのは、果たしていつの頃からだっただろう。
 乱馬の本心ではなく、単なる照れ隠しのごまかしの、彼なりの表現の仕方であることをはっきりと認識できるようになった頃は──
 また、昼間と同じ思考に戻っていることに気づいて、首を振った。
 やめたやめた。考えたって、しょうがないじゃない。どうせ、過去や未来へ行くなんてこと、できっこないんだから。
 振り子のように首を振って、あかねは嘆息した。
 疲れてるんだ。こんなことばかり考えてるから。
 寝よう。
 動くようになったミニ時計を、動かない時計と入れ替えるようにして枕元へ置いた。
 電灯を消して、布団へ滑り込む。
 暗くて、天井は見えない。
 暗闇に慣れるまでは、まだ時間がかかりそうだ。
(もう、考えない考えない!)
 掛け布団を頭の上まで引っ張りあげた。
 枕元からは、小さいわりに随分と大きな音で振り子の音がする。
 まわりが静かだから、余計に大きく聞こえるんだ。
 聞きなれない音に、はじめは戸惑った。
 けれど、それは懸念にすぎなかったようだ。

 コツ、コツ、コツ、コツ

 規則正しく鳴らす音に誘われるように、あかねは眠りの世界へと旅立った。


  コツ、コツ、コツ、コツ

    コツ、コツ、コツ、コツ──



   *



 なにかの音がする。
 鳥のさえずりはとはまた違う。
 なんだろう──
「時計!」
 目を開けて、あかねは叫んだ。
 部屋には、コツコツと時を刻む音が響く。
 起き上がって、ほっとした。
 よかった、ちゃんと動いてる。
 壊れてなくて、本当によかった。
「なによ、ちゃんと直せたじゃない。乱馬の奴、今に見てなさいよ」
 口に乗せた言葉は、刺々しい。
 朝から乱馬のことを考えた自分に腹が立って、あかねはベットから降りた。
 いつもより、少し寒く感じた。
 風邪だろうか。
 昨夜、遅くまでテレビを見ていたせいじゃないとは思うけど。
 頭が痛いということはないから、きっと大丈夫。
 そうだ、こんな時は走りに行くにかぎる。  汗をかけば、すっきりするから。
 そして、瓦でも割ろう。
 よし!
 ふんと、気合いの息を吐き、あかねは道着に手にする。
 怒った顔をしていたら、外に出るのも困るな。どこで見られているかわからないもの。
 そう思って、あかねは机の上にある鏡を手にする。
 それを覗き込み、その口から悲鳴がもれた。
 大きな瞳を見開いて、愕然とした表情の自分が、鏡の中にいる。
 声にならない声で、あかねは叫んだ。
 なんで、どうしてっ

 どうして、こんなに髪が短いの──!?