星屑のステージ
星屑のステージ
バカ騒ぎ
それはこういうことをいうのかもしれない。
居間で展開されている「酒盛り」の喧騒は、こんな所にまで聞こえてくる。
男達は酒が好きだ。
「お師匠さまっ、いい呑みっぷりです」
「酒じゃ酒じゃ」
「かすみ、お銚子、もう一本ね」
「はい、おとうさん」
クリスマスと正月を間違えているんじゃないだろうか──
早乙女乱馬は呆れ顔でそう思った。
「まま、乱馬くんも一杯やらんかね」
「師匠の酒が飲めんというのか?」
「父はおまえをそんな息子に育てた覚えはないぞ」
そういう問題じゃない。
まだ未成年だ。
だが16歳の子供同士を平気で結婚させようとするぐらいの父親たちに、今更常識を期待するほうがそもそも間違っているのかもしれない。
モミの木でジングルベルよりも、松竹梅に尺八こそが似つかわしい──そんな部屋から逃げ出して、乱馬は屋根の上にいた。
今の時期の屋根は寒い。
敷き詰められた瓦は、触れたその部分からどんどん身体の熱を奪っていくように感じられる。
吐く息は白く、空気は肌に突き刺さるようにピリピリと痛い。
何故そんな思いをしてまでこの場に居るのかといえば、居場所に困っているからだ。
居場所がないというよりは、居たたまれないといった方が正しい。
つまり、彼は落ち着かないのだ。
難しい顔で悩む。
頭の中ではシュミレーションの真っ最中だ。
彼の心の中でイメージする彼女は、いつも笑顔で微笑んでいる。
従順で、けなげで、素直。
彼の内なる理想はエベレスト並に高かった。
だが現実との相違がマリアナ海溝のように存在していることも、一応わかってはいる。
この世はかくも厳しいものだ。
ふうと溜息をつき、空を仰ぐ。
見上げた空には星が瞬いている。
朝からの好天気。おまけに夕方から吹きはじめた風が昼間の雲を何処へか払ってしまい、珍しく綺麗な星空をのぞかせていた。
ロケーションは絶好。
ただ寒い。
座り込む彼の傍らには膨らむなにかが影を落としている。リボンがくたりと屋根瓦に寝ている姿が寒々しい。
へっくしゅん
くしゃみが爆発した。
いつものことながら、やかましい。
げへへへへと卑猥な笑い声で飛びかってくる八宝斎を一升瓶で打ち返す。タンスの角にクリーンヒットした小柄な妖怪──もとい八宝斎は、すさまじい反射神経で跳ね起きると、容易くバックをとる。
「あっかねちゃ〜ん」
モモンガの如くやってくるのを撃退しようと振り返ったとき、その標的が移行した。
「おう、らんまちゃ〜ん」
「寄るな、このエロじじいが!」
師弟の攻防が始まり、肩透かしをくらったかたちになるあかねだったが、関わり合いになるももイヤで、そっと居間を出て部屋に戻る。後手にドアを締めると、ふうと重い息を洩らした。
どうにも決心がつかない。
いや、タイミングがつかめない。
気恥ずかしい。
ドキドキする。
どうしよう。
幾度となくシュミレーションした頭の中の彼は、いつも優しい。
文句を言わない、誤魔化さない。すぐにそっぽを向いたりしないし、言うべきことはちゃんと言う。気配りがきいて、謙虚で素直な完璧紳士。
彼女の想像は、不釣合いなほどに都合のいい人物と化していた。
そのあまりのギャップに、自分で「有りえない」と即答できるぐらいに不似合い──それを通り越して逆に不気味だった。もしもそんなことになったのなら「なんか変なもんでも食べたの?」と真顔で訊くだろう。絶対に。
哀しいかな、現実の彼がどうであるのか、彼女は痛いぐらいに知っている。
はあ……
もう何度ついたのか数えたくもない溜息とともに、あかねは机の上の包みを取り上げる。
だるまのようにぐらぐらと心が揺れている。
へっくしゅん
頭上からかすかにくしゃみが聞こえた気がした。
「なにしてんのよ、そんなとこで」
「……あかね」
屋根の淵からひょっこりと頭を出したあかねを、乱馬は見つめる。
半ば期待していたような、そうでないような。
複雑な心境だった。
あかねはあかねで沈黙する。
たぶん──というか乱馬しかいないだろうとは思っていたが、いざ目の前にいると戸惑う。
いつもならばどうということのないはずなのに、今日は事情が違う。
左手に持ったままの包みが、屋根の下でがさりと音を立てた。
じっとしていると下から冷たい空気が染み込んでくるような気がしてくる。
はしごを掴んでいる手がかじかんできた。
昇るべきか否か──
決めかねていると、むっくりと立ち上がった乱馬がこちらに向かって歩いてくる。
逆光で、表情はよく見えない。
「ほら、上がるんなら上がれよ。あぶねーだろ」
「うん……」
差し出された手を握ると、じんわりと温かくなった。
「寒くないの?」
「寒い」
「なら、家に入ればいいじゃない」
「おやじ達がうるせーんだよ」
だからといって何故屋根なのか、道場でもいいじゃないかとあかねは思ったが、まあいいかと思い直す。
屋根の上にいるほうが、なんだか乱馬らしい。
寒いけど。
なんとなく空を見上げてみた。
星が見える。
気のせいか、いつもより綺麗に──はっきりと見えるような気がした。
雪が降ればこんな夜空は拝めなかったんだと思うと、ホワイトクリスマスにならなくてよかったと思えてくるから現金なものだった。
夏の終わりに、花火を見た時のことがふいに蘇ってきた。
あの時とは違う星座を散りばめた空。
星座というと、修行中、山で方角を見失った時に役に立つぐらいの認識である乱馬は、空を見上げるあかねの方を気にして見ていた。
さあ、どうしよう。
口を開きかけたときに、再びくしゃみが襲ってきた。
ぶえっくしょん
盛大だった。
驚いた顔であかねが振り向いた。
だがあかねの視線の先には、あるべきはずの顔がなかった。
わずかに目を落とすと、腹ばいになっている乱馬の姿がある。
くしゃみの衝動で、脇に置いてあったブツが転がり落ちていくのをとっさに手を伸ばして掴んだのだ。
そんなこととは知らないあかねが、問いかける。
「ちょっと、大丈夫?」
気分でも悪くなったのか──とその顔を覗きこもうと瓦に手をつき、あまりの冷たさに手を引いたが、身体の方がその脊髄反射についていけず、傾く。
離してしまった包みに手を伸ばし、あかねもまた腹ばいになった。
隣同士、目が合った。
数秒見つめ合い、どちらからともなく吹き出した。
悩んでいたことが、バカみたいに思えてきた。
身体を起こし、安定した場所に座り直してから、乱馬はそれをあかねに放る。
受け止めたモノ──首にリボンを巻きつけたぬいぐるみ。
以前、なにかの買い物に出かけた時に見つけたブタのぬいぐるみ。
かわいいを連発するあかねに対し、豚なら一匹いるじゃねえかと、面白くもなんともないといった顔と声で悪態をつかれたことがあった。
PちゃんはPちゃんでしょ!
というと、ますますむっとした顔になって、面白くなって笑っていたらそこにシャンプーが現れて今度はあかねの方が不機嫌になるという、特別どうということのない出来事だった。
「やる」
飾り気もなにもない、簡潔な一言だった。
いつもの言い訳じみた言葉もなく、ただそれだけだった。
だからあかねも一言返した。
「うん」
そして少し考えると、次にこう呟いた。
「ごめん、ね」
「なんだよ、急に」
「これ──」
あかねは包みを突き出した。
乱馬は勢いに押され、尻込みしながら受け取り、がさがさと、しわしわの包みを開いた。
「結局、出来上がらなくて──、だから、ごめんなさい」
申し訳なさそうに、縮こまって言うあかね。
中から現れたスポーツタオルを見ながら、乱馬は言った。
「出来上がるの、五年後なんだろ?」
さも意地悪な顔をしているんだろうと、あかねがちらりと視線を投げると、予想に反して笑顔がそこにあった。
五年後
あながち間違ってないかもしれない──と、あかねにしては少し弱気でそう思った。
だけど、五年──はかからないとしても、来年か再来年。
出来上がって、それを渡す頃にも、
乱馬はここにいる。
いてくれる。
願わくばその次も、その先もずっと、そういられたらいい。
ああ、それはなんて素敵な未来なんだろう。
泣き笑いの顔は、本物の笑顔になる。
あかねのころころと変わる表情を見ながら、乱馬はもう一度確認するようにタオルを見る。
白地に青色のストライプ模様。
その端に、青い糸でなにかが縫いつけられてある。
相変わらず縫い目が粗く、糸の引っ張りすぎでタオル地は引きつっている。
かろうじて文字であることはわかるが、あまり丁寧とはいえない。
ノートの字はあれほど綺麗なのに、なぜ刺繍の字になるとこうまで下手になるのか、謎だった。
それでも、不器用な彼女は、ただのタオルを渡すだけでは偲びなく思い、こうして刺繍を入れたのだろう。
そう思うと顔が笑う。
縫い目が曲がり、変形した「乱馬」の字を手で触りながら、意地悪そうな顔と口調でこう言ってやった。
「ハングル文字かなんかか?」
「日本語よ!」
抱きしめた腕の中、ピンクの豚が「ぶひぃ」と情けない声で同意した。
前回の話を書いていて「しまった」と思いました。
クリスマスなのに、プレゼント交換がないってどーゆーことよあたし!
でも入れる場所がなかったので、急遽これを作りました。故に非常に内容が雑です(笑)
刺繍ネタはTVの五寸釘くん登場の話です。ちなみにあれを初めて見た時、映りの悪い局で見ていたので、一体なにを冷やかされているのかさっぱりわからず、遅れて放送していた地元局で見た時もやっぱりなんと書いているのかわかりませんでした。ごめん、あかね……
【2003.12.24】