いつもの帰り道


     いつもの帰り道





 終業のチャイムが鳴り響くと、校内は一挙に活気に溢れ出す。
 部活に燃える運動部員のあげる怒声やら掛け声やらに混じり、ランニングする集団の足音がそこかしこから聞こえ、教室では雑誌を片手に話題の店をチェックする女生徒の楽しげな声があがる。
 1年F組
 カバンに教科書を仕舞い、席を立ったあかねは、いつもの通り隣席に声を掛けた。
「乱馬、帰ろ」
「おう」

 中身の少ないカバンを背中に背負い、同じく席を立つ乱馬と共に教室を後にする。
 廊下を歩き、階段を降り、靴を履き替えて正門へと向かう。
 すれ違う顔見知りの生徒に挨拶を返しながら歩く、いつもの風景──日常だ。
 横になり、うしろになり、前になり、
 その時の機嫌と状況によって変わる距離と位置。
 軽いカバンがコトコトと上下し、合わせて揺れるおさげ髪が先を行く。
 その背中に追いつくように少し小走りとなり、あかねは横に並んだ。
 乱馬の服の裾をついと引っ張り、下から覗き込むように声をかける。
「かすみおねえちゃんに買い物頼まれてるの、付き合ってよ」
「ちぇ、めんどくせーな」
「いいじゃないの、どーせ暇なんでしょ?」
「勝手に暇人扱いすんなよな」
「ぐだぐだいわないでよ、荷物多いんだから」
「わーたっよ、うっせーな」
 なんのかんの言いながらも、結局はついてきてくれる乱馬に、あかねはおかしくなる。
 けちをつけながらも、決して嫌そうな顔をしているわけではないのだ。
 いちいち文句つけて……、なんで素直に言わないんだか。
 ここで笑うと、またへらず口を叩くであろうことは目にみえてわかっているので、声に出すことは留めて、ただ笑みを浮かべる。
 こういう時、ふと「いいな」と思う。
 特になんということでもないのだけれど、ちょっとした瞬間に感じる思い。
 ドキドキする感じとは違う。
 ただ胸に飛来するのは「安らぎ」だ。
 自分がここにいて、そしてそこに乱馬がいる。
 手を伸ばして届く位置。
 物語に登場するような優しい──少女の理想像のような少年では決してないけれど、それでもいいやと、そう思うのがこんな時だ。
 だが「幸せの瞬間」というのは、やはり瞬間でしかないのである。


「乱馬!」
「乱ちゃ〜ん」
「乱馬様っ」


 後方から現れたのはいつもの面子だ。
 げっと言葉を漏らす乱馬を、途端不機嫌になったあかねが睨みつける。

「乱馬、私とデートするね」
「なに言うてんねん。乱ちゃんとデートするんはうちや」
「乱馬様、いざ私とともに参りましょう」

 いがみ合うわりに、順繰りに声をかけて誘う三人に、乱馬はいつもの如くたじたじだ。
 目線を泳がせ、隣のあかねの顔色を窺う。勿論、良かったことなど一度もない。
 ふんっと大げさに顔をそむけて、あかねは一人先に進み始める。そんなあかねに、あわてて乱馬は声をかけた。
「おい、ちょっと待てよあかね。おまえ、買い物──」
「いいわよ、あたし一人で。どーせ忙しいんでしょっ!」
 吐き捨てるようにしてそう怒鳴り、あかねはその場を後にする。
 後方から聞こえる三人の諍いの声を聞きながら、気持ちを振り切るようにして走り去った。






「──よいしょっと……」
 思わず声に出して、その荷物を持ち替えた。
 中身の重みで袋の持ち手部分が伸び、細いビニールの紐が手に喰い込んでしまっている。赤く痕のついた手を振りながら歩き始める。
 荷を持っている方に沈みそうになる身体を保ちながら歩くのは、なんだかやじろべえのようだ。
 揺れる
 揺れる
 ふらふら
 ゆらゆら
 倒れそうで、倒れない
 いっそのことどちらかに傾いてしまえば諦めもつくのに、それすらも出来ないでいる。
 どっちつかず。
 なんだか、乱馬みたいだ


 ふうと、あかねは肩を落とす。
 あんなのいつものことじゃない!
 頭の中でこだまする声の裏側で、泣きそうになってる自分がいる。
 強がりな心とは裏腹に、弱音ばかり吐いている自分の存在を、疎ましく思う。
 ばかみたい。
 なんであたしがこんな風に沈まないといけないのよ!
 繰り返される自問自答は、背後から掛けられた声で中断した。
「あかねちゃん、今帰りかい?」
「……東風先生」
「お買い物?」
「はい。先生は往診ですか?」
「まあね。──おや? 乱馬くんは一緒じゃないのかい?」
「知りません、あんなヤツ」
 口をへの字に曲げて憮然と呟くあかねに、東風が笑う。
「また喧嘩してるのかい? 仲がいいねえ」
「先生っ!」





 少し並んで歩いた後、手を振って別れた。
 また一人で歩きながら、考える。
 どうしてだろう?
 いつの間にか、周りからは「乱馬と一緒」であることが当然のように認知されている気がする。
 一人で登校すると決まって「また喧嘩したの?」と聞かれてしまう。
 二人で下校する姿を、誰もなにも言わず見送っている。
 いつの間にか、それが日常になってる。
 さっきだって偶然東風先生に会ったけれど、以前ならばもっとかしこまって話していたであろうに、今はそこに特別な思いはない。
 偶然を必然のように喜んでいた頃の気持ちは、薄れて久しい。
 それもこれも、すべて──
「……なによ、乱馬のばか」
「誰がばかだ、誰が」
「乱馬──」
 数メートル先のフェンスに乱馬がいた。
 髪の乱れが、乱闘を匂わせている。
 表情を正し、荷をぎゅっと握り直すと、あかねは乱馬の存在を無視するように下を通り過ぎ、そのまま早足で家路を辿り始める。
「ちょ、おい、待てよ、あかね」
 トントンと、フェンスの上を走る音が聞こえ、対抗するように足を速めた。
 なおも追ってくる声と音に、ますます焦燥感がつのる。
 荷物の重さが掌に食い込む。
 カバンの中で、教科書と筆箱がぶつかっている。
 ぶら下げたマスコットが縦横無尽に跳ね回る。
 何故だか悔しくて、下を向いてただ歩き続けた。
「だから、待てっつってんだろーが」
 止まろうとしないあかねに郷を煮やして、乱馬は跳躍し、あかねの前に踊り出た。
 前をろくに見ていなかったあかねは、止まりきれずにぶつかる。
 だが、自分を避けてまた先へ進もうとするあかねを、乱馬は押し留めて言う。
「おまえなー」
「なによっ」
「なんだよ、かわいくねえな」
「どうせあたしはかわいくないわよ、もうほっといて!」
 せりあがってくる涙を見せたくなくて、下を向いた。
 手が痛い。
 じんじんする。
 立ち止まったことで、さっきよりももっと重くなったような気がしてくる。
 ふっと、手が軽くなった。
 顔を上げる。
 視線の先には、肩に荷を抱えた乱馬がいる。
 右手を見る。
 ついさっきまでその手にあった荷物の痕が、くっきりとそこにある。
 けれど、あの心まで地面に縫いとめてしまうような荷物の重みは、もうない。
「荷物ってこれだけかよ」
 多いなんて言って、たいしたことねえじゃねえか──と、目の前の乱馬がぶつぶつと呟いている。
「な、なによ、今頃のこのこやって来といて」
「別におれだって、好きで遅れたわけじゃねえ」
「どーだか」
「なにを?」
「なによ!」
 むっと睨み合い、ふんと顔を背ける。
 そして、どちらからともなく肩を並べて歩き出す。
 ゆっくり、いつものペースで。
 黙々と進むけれど、ついさっきまでの重苦しい気持ちは消えていた。
 荷物と共に、もやもやした心までもひょいと持ち上げられたような──そんな感じだった。
 ちらりと隣を見上げる。
 いつも通りの顔が、いつもの位置にある。
 自分でも現金だと思ったけれど、その「いつも」に安堵した。
 知らず知らずに頬が緩んだが、次の瞬間。その顔が、はたと固まった。


「──あっ!」
「あんだよ」
「牛乳買うの、忘れてた」
「ドジ」
「なによ」
「まぬけ」
「ばか」



 それがいつもの帰り道。






















個人的に、私は「乱馬とあかねの下校風景」が好きです。共に家路を辿る二人。いいじゃござんせんか、おまえさんってなもんです。

余談ですが、スーパーの袋には大きさがいくつかありますが、あんまり大きいやつはそのひとつ前のサイズを薄くしただけなので、すぐに破れます。一番丈夫なのは通常サイズと最小サイズです。
店によって違いはあるでしょうが、ご参考までに(なんの参考だか)

【2003.07.30】