心の鏡 side:Ranma


     心の鏡 side:Ranma





 あかねと喧嘩した。
 いつものことだ。
 んなのたいしたことじゃねーはずなのに、妙に気が重い。
 きっかけはなんてことのねーことだ。たまたま部屋に行った時に、あかねの奴がこそこそとなんか隠しやがって、だからそれを隙をついて取り上げた。
 ぼろきれかと思った。
 だが、その端から垂れ下がった糸の先を見て、それが毛糸であるのがわかった。
 編み物だ。
 この不器用な女が、編み物かよ。
 おれの顔を見て、その言葉を読み取ったのか、あかねはおれの手からそれをぶん取ってしかめっ面だ。

「返してよ、ばかっ」

 その言い方にカチンときた。
 なんだよ、それ。
 おれはただ、なにをそわそわしてたのかが気になっただけじゃねーか。
 たしかにこんな暑い時期に編み物やってるだなんて季節外れもいいとこだが、こいつのことだ。きっと寒くなる時期に向けて早々と準備してるとか、そんなとこだろう。間に合わずにあたふたするよりゃ、ずっとマシなんじゃねえかと思ったから、おれはそう言ってやった。

「まあおめーみてーな不器用な女は今ぐれーからやり始めねーと間に合わねーよな」
「なによ、その言い方!」
「なんでい、ほんとのことじゃねーか」

 むすっとした顔のあかねは、ふんとそっぽを向く。そして再びベットに腰掛けて、毛糸を引っ張り始めた。
 ほどいてやがる、こいつ。
 編み物のことなんておれにはよくわかんねーけど、かすみさんが編んでいたのを見たかぎり、毛糸で作ったもんはもっとふわふわしてるもんだ。なのにあかねの場合、毛糸の「毛」がなくてもう「糸」になってるじゃねえか。それ以上、やり直したって綺麗な編み物にはならねーんじゃねーのか?
 だからおれは親切にもアドバイスをしたんだ。

「んなよれよれの毛糸使ったってしょーがねーだろ。ただでさえ不器用なのに、そんなんじゃ出来上がりは目も当てられねーぜ」
「うるさいわね、あんたに関係ないでしょっ!」

 関係ねーって、じゃあ一体なんのために作ってんだよ。
 おれにくれるんじゃねーのかよ。

「誰もあんたにあげるなんて言ってないでしょ! これはPちゃんにあげるんだからっ」
 そう言うと、隣に座っていた豚を抱き上げた。なにやら感激したようにあかねを見上げている黒豚。
 くそ、良牙の野郎……
 しかもおれの見ている前で、あの野郎はあかねの胸に擦り寄りやがった。
 あんにゃろう、絶対許さねえ!
 ずかずかと近寄ると、あかねの手の中から豚を引き剥がした。おれの手で豚が暴れる。

「ちょっと、なにすんのよ」

 うるせえ、だいたいおめーが豚なんてかわいがるからいけねーんじゃねーか!
 その時、じたばたと暴れまくる豚が、おれの手に思いっきり噛み付いた。
「痛ぇーじゃねーか、この豚っ!」
 手を振って払い、べしゃっと豚を床に叩きつけた。ころころとあかねの足元に転がって止まる。豚を再び抱きあげて、怒りの形相であかねが睨んだ。
「Pちゃんいじめないでよ。豚にヤキモチなんて、ばっかみたい」
「だ、誰がおめーなんかに」
「ふーんだ」

 か、かわいくねえ……
 ふと、あの編み物が目に入った。
 良牙にやると言った言葉を思い出す。
 むかっときて、おれは言った。

「けっ。んなぼろっちいもん喜んでつけるの、その豚ぐれーなもんだろっ」

 あかねの顔が強張り、下を向く。
 なんだよ、言い返してこねーのかよ。
 臨戦体勢に入っていたおれは、俯くあかねに構えを解いて近づいた。





 後悔するのは、いつもやっちまった後だ。
 顔をあげた時に見たあかねの表情が、今もおれの頭ん中に甦る。
 泣く一歩手前。
 必死になってこらえてる、そんな顔だった。
 ドアの外まで蹴りだされたが、んなことはどーだってよかった。
 ただ、あかねの顔が貼り付いて離れなかった。
 あれから丸二日、あかねとまともに顔を合わせてねえ。
 合わせてねえっつーより、合わせてくれねえって方が正しい。
 あかねはあれ以来、おれを無視してる。 
 どんなにムカつく言葉でも、言ってくれる方がはるかにマシだ。何も言わず沈み込んでるあかねの姿なんて見たくねーし、第一どう対応すりゃいいのかもわからねー。
 おじさんは恐ぇ顔して詰め寄ってくるし、なびきやかすみさんまでもがおれを睨んでくる。
 別におれだって好きでケンカしたまんまなわけじゃねえ。でも、どうしたらいいのかもわからねえ。
 道場で考えこんでいると、おやじがやかましい。
 落ち着いて考え事もできねえじゃねえか!
 隅にある防火用のバケツをぶっかけておれは道場を出て、そしてこうして屋根の上にいる。
 寝転がって、空を見た。
 いい天気だってのに、おれの心はちっとも晴れてねえ。
 あかねのことなんて、どうだっていいや──と口にしてみたけど、ますます気が重くなる一方だ。
 ったく、おれがなにしたってんだ。気にいらねえことがあるんなら、そう言やーいいじゃねーかっ。黙ってたってわかんねーよ。
 悶々とした思考だ。
 くそ、なんだってんだよ。
 ずどーんと重いもんが胸ん中にあって、なにもする気が起こらねえ。
 あかねの顔が目の前にちらつく。
 頭を思いっきり振って、それを意識の外に追い出そうとするけど、それもままならない。
 駄目だ。
 おれは少し頭を冷やそうかと、風呂場へ向かった。
 洗面台で顔を洗う。タオル片手に上げた正面に大きな鏡。おれの顔が映ってる。
 もしも心を映す鏡なんてもんがあったとしたら、今のおれの心はめちゃくちゃだろう。
 どろどろして、混沌としてて、わけわかんねえ。
 ふと、人の気配を感じた。
 あかねだ。
 やべっ
 逃げ場がなくて、仕方ないのでおれは気配を殺して天井に張り付いた。
 ぺたぺたと歩いてきたあかね。
 ここで服でも脱がれた日にはどうしようかと思った。
 見つかったら殺される。不可抗力だと言っても言い訳はたたねえだろう。
 ドキドキしながら見ていたら、あかねはおれと同じように顔を洗い、しばし鏡を覗いていたと思ったら大きく息を漏らした。そして、またぺたぺたと戻っていった。
 足音が遠のくまでしばらく待ってから、おれは下に降りた。
 その時にはもう決めていた。
 なんでもいいから、とにかくあかねに語りかけよう。
 殴られようが蹴られようがビンタされようがそれがなんだってんだ。
 だが、なにをどう言うべきなのかが問題だった。
 おれは普段、一体あかねとなにを話してたんだろうか?
 考えれば考えるほどわからなくなってきた。
 むむむと頭を抱えていたおれに、おじさんが声を掛けてきた。
 納戸の中に仕舞いっぱなしの物を虫干しするので、その前に片付けをしてくれないかということだ。
 正直そんな場合じゃなかったんだが、妙に愛想のいいおじさんとおやじにせっつかれ、納戸まで付いてこられた。んな見張らなくても別に逃げねえよ──と言うおれの背中をどんと一突きし、おれは勢いよく納戸に押し込まれた。
 ちくしょう、おやじの野郎!
 振り返って殴ってやろうかと思ったが、戸が開かねえ。閉じ込められたと知り、それじゃあ蹴破ってやろうかと思った時に視線を感じ、振り返るとそこにあかねがいた。
 途端、焦った。
 バランス崩して倒れた。
 情けねえ……

「……乱馬?」

 久しぶりに聞いたあかねの声。
 なんかわかんねーけどドキドキする。
 心臓病なんじゃねえかってくらいに脈打っている。
 勝負の時だってこんなに緊張しねえのに、目の前にあかねがいるだけでどうしようもねえくらいに強張る。

「おめー、こんなトコでなにやってんだよ」
「あ、あんたこそ」
「おれはおやじとおじさんに……」
「あたしはかすみおねえちゃんに納戸の掃除を頼まれて……」

 そこまで言って、会話が途切れた。
 ついさっき、あかねと話そうと決めていたにもかかわらず、そこから次の言葉が出てこねえ。
 あかねはといえば、なにか考え込むように下を向いている。こっちを見ねえってことは、まだ怒ってんだよな、きっと。
 さっきの、肩を落としあかねの姿が甦った。もう何度も思い返したあの泣きそうな顔も再び甦る。

「あ、あの、さ……」
「──な、なに?」

 小さくあかねが返す。その声が妙に冷たく聞こえた。
 おれは焦る。
 どうしようもなく焦る。
 蒸すような熱気がこもった納戸の中、おれ達は二人して正座で向かい合っている。
 日が陰ったのか薄暗い。うずたかく積まれた荷がそびえ立ってて、余計に狭いかんじだ。
 言葉を探して空を見上げたおれの目に、落下するダンボールが映った。
 考えるより先に身体があかねを庇って動く。
 一度肩でバウンドし、腕をかすめて箱が落ちた。

「あかね、大丈夫か?」
「うん……」

 すぐ近くで声がした。
 すぐ近くに顔がある。
 一際大きく心臓が跳ねた。
 なにを言えばいいのか出てこなくて、結局口から出たのはたった一言だった。

「──ごめん」
「ううん、あたしも、ごめんね、乱馬」

 そう言ってあかねが小さく笑った。
 花が咲いたみてーだと思った。
 薄闇の中、光が射したみてーだった。
 さっきまでのどろどろした、心にのしかかっていた重りが溶けてなくなっちまった。
 ちょっとかわいいかも、と思った。

「あ、あかね……」
 なにかを口走りそうになった時だ。
 ぎしりっと軋む音が聞こえ、ばたーんと戸が中に倒れ、そしておそらく耳をつけていたであろう体勢のままで、おじさんとおやじとなびきが雪崩れこんできた。
 戸口では一人かすみさんがなびきを助け起こそうとしている。
 どちらにせよ、全員がこの場にいたことは間違いはない。
 はめられた!

「おとーさんが悪いのよ」
「だって早乙女くんが押すから〜」
「それはないんじゃないのかい、天道くん」

 やいのやいのと責任逃れを始める家族を尻目に、おれとあかねはその場に固まったままだった。








 今日もあかねと喧嘩した。
 いつものことだ。

「乱馬のばかー!」 
「あにしやがる、この凶暴女」

 左の頬に決まった平手打ち。
 まったくやっぱりかわいくねえ。
 でも、それでも、まあいいか。

「なに、にやにやしてんのよ気持ち悪いわね」
「なんでもねえよ」
「へんな乱馬」

 部屋の隅では黒豚が、ほつれ糸だらけの腹巻きもどきに巻きつかれ、暑そうに転がっていた。























乱馬って思考と表情と行動が一致しない人で、その「思ったことと口に出したことの違い」みたいなのを書きたくて書いたのがこれ。いわゆる「乱馬視点」というやつですが、案外おもしろいですね。
ところでSMAPのデビュー曲だか初期の曲だかにこんなタイトルのがあった気がするんですが、どうだったっけ? いいタイトルだなーと昔から思ってて今回登用。失敗かも(笑)

【2003.08.08】