月と貴方と桜餅
 

     月と貴方と桜餅



 


  桜餅には良い思い出と悪い思い出とが詰まっている。





    *



 『お月見をしませんか?』


 そんな言葉が目に入って、あかねは立ち止まる。
 和菓子屋さんの前。
 大きな満月と、ウサギの姿が描かれたポスターだ。
「お月見かあ……」
 残暑の厳しさもいつの間にかなりを潜め、もう秋の気配。朝夕のひんやりとした空気には肌寒さを覚えるほどだ。ギラギラと燃え立つような太陽でさえ少し柔らかくなった気がする。紅葉の季節にはまだ早いけれど、それもきっとあっという間なのかもしれない。
「でも、どうせゆっくり月を見るだなんてことにはならないんだろうけど……」
 月見だとか花見だとか、そんな時はただ騒がしいだけだ。
 お酒を飲み騒ぐ父親達。そこに八宝斎が加わればさらにうるさくなる。乱馬とて酔った父に絡まれて騒ぐか、聞きつけてやってきた三人娘に絡まれて騒ぐか、突如現れた九能に絡まれて騒ぐか──とにかく慌しいだけなのだ。
 ムードもなにもあったもんじゃない。
 花より団子とはこのことだ。
(別に乱馬がどーだろうとあたしには関係ないけどっ)
 胸の中で無理やり結論づける。
 そんな風に考えるのが、半ば癖のようになってしまっているところがある。
 なんでなんだろう、と時折考えてみたりするけれど、その答えは未だ見つからない。
 そんな思考も、乱馬を見ると消えてしまう。
 まあいいか、という気持ちと、もう乱馬のことなんてどーだっていい! という気持ちと。それは日によってまちまちではあるが、突き詰めて考えるというとこはあまりない。
 ちなみに今日の気持ちは「乱馬なんて最低」
 朝一番からの喧嘩は続行中だ。
 いっそ思いっきり殴ればすっきりするかもしれない──などと物騒なことを考えていた時だった。

「あかねちゃん」

 不意にかけられた声にどきりとして振り返った先には、もう見慣れた姿。いつも変わらない楚々とした和服姿に抱えた刀筒。
 乱馬の母・のどかである。
「あ、こんにちは、おばさま」
「どうかしたの、あかねちゃん?」
「いえ、別に……」
 まさか「息子さんを殴ろうと思ってました」とも言えず、あかねは曖昧に笑みを浮かべた。





  *




「きゃ、おばさまだ〜」
「あら、乱子ちゃん、元気ねえ」
「おほほほほほ」
 のどかを伴って帰宅したあかね。庭の池に浸かりどこか引きつった笑いを見せる乱子──もとい乱馬を見ては、いつものことながら情けなくなる。
(もっと正々堂々と名乗り出ればいいのに。まったく男らしくないんだから)
 そうなった場合「男らしくない」彼は切腹する羽目になるのであるが、その辺りのことはあまり気に止めてはいないらしい。
「乱子ちゃん、皆さんは?」
「えーっと、出かけてまーす」
「あら、じゃあ悪い時にお邪魔したわね」
「いえ、そんな──」
 誘ったのはあたしだし──と、あかねが申し訳なさそうに続け、手にしたままの袋を目にした乱馬は、あかねに問うた。
「それ、なんだよ」
「そうだわ、乱子ちゃん。お団子好きかしら?」
 対して答えたのはのどか。うきうきとした調子で訊ねてきた。




 血の気が引く
 その感覚をまざまざと体感出来るのは、そうそうあることではないだろう。
 そんな冷酷な仕打ちは言葉ひとつで簡単に発動するのだ。
 手作りお団子セット
 それが恐怖の大魔王の名前だった。

「偶然、和菓子屋さんの前であかねちゃんに会ったの」
 月見のポスターが貼り出されていて、店内ではご家庭で簡単に出来るというお月見セットが売られていた。
 声は耳を素通りしていくが、聞かなくてもわかったのでたいして問題はなかった。
 今、彼の頭にあるのは「どうやってこの事態を乗り切ろうか」それだけだった。
 台所に入り、のどかとあかねが作りはじめる様を、乱馬は青ざめた表情で見守る。
 のどかがついているのだから、そうそうまずいことにはならない──はずだった。だが、天性の不器用さを発揮した天道あかねの前にそれは通用しない。
 粉を撒き、お湯を引っくり返し、あんこを飛び散らせ、テーブルの上は荒野、ここは戦場だ。
「……ごめんなさい」
「大丈夫よ、あかねちゃん」
 気にしない気にしない──と、どこまでも明るく微笑むのどか。
 主婦は偉大である。
 のどかが手を動かす様子を眺めながら、あかねは以前作った桜餅のことを思い出した。
 運命の人がわかる──などと言われてついつい買って作ったのだ。
 のらくらと逃げるばかりで口にしようとしない乱馬に腹がたって、自分で食べたらひどくまずかった。
 我ながら情けなかった。
 桜餅は好きだ。
 見た目も綺麗だし、味もいい。
 もち米の粒々とした歯ざわりと、黒餡のしっとりとした甘さ。塩漬けにした桜の葉がちょっぴり辛くて、その甘さをなお引き立てるのである。
 それがどうしてああなるのだろうか?
 自己嫌悪
 こうなるともう、なにもかも、すべてのことが悪いことのように思えてくる。
 いつの間にか姿を消した乱馬のこと。
 今日の喧嘩は全面的に自分が悪いような気がする。
 その場で謝ってしまえばよかったのに、後になればなるほど謝りにくくなるのだ。
「そういえば、乱子ちゃんどこ行ったのかしら?」
「さあ……」 
 のどかが台所を離れる。
 ぐらぐらと沸き立つ鍋に気づくことなく、あかねはまだぼーっと思考に耽っている。
 我に返ったのは、香ばしいような焦げ臭いような──そんな匂いだった。ふと気がつくと、目の前で白い煙が上がっている。
 慌てて覗き込んだ鍋の底で、すっかり水分を無くした団子がくっついているのを発見した。
 火を止め、鍋の柄を掴んで、その熱さに手を引く。テーブルの上の布巾を手にしてもう一度鍋を持ち上げた。
 菜箸でおそるおそる突付く。団子はかさかさになって底にこびりついて、取れそうにない。
(またやっちゃった……)
 ずどーんと重い物が圧し掛かってくる。
 そしてのどかが戻ってきた。
「あかねちゃん、なにか焦げてないかしら?」
「……おばさま」
 暗い顔のあかねが振り返り、その様子を見て何があったか察したのか、のどかがあかねの側に寄った。
「大丈夫、あかねちゃん? 怪我してない?」
「ごめんなさい、おばさま……」
 泣きたくなってきた。
 どうしてこうなんだろう──
「あたし、新しいの買ってきます」
「あ、あかねちゃん──」
 財布を掴み、のどかの声を背中に聴きながら外へ飛び出した。




  *




【誠に勝手ながら、本日は閉店致しました。】


 シャッターの上に張り紙が一枚。
 不幸はまとめてやってくるのだ。
 そのまま帰ったとしても、きっとのどかは怒ったりしないだろう。
 そう思う。
 けれど、その優しさに甘えてしまうには自分に責が有りすぎる。
 せめて、なにか変わりになる物を探そう。
 あかねは再び走り出した。


 だがついてない時というのは、ことごとくついていないもので。
 散々探し回ってもなかなか見つからない。
 焦りと疲労とやるせなさとがごちゃまぜになって襲ってくる。
 何のためにこんなことをしているのかすら、よくわからなくなってきた。
 立ち止まると二度と動けなくなりそうで、とにかく足を動かし続けた。
「あかねちゃん」
 声がした。
 のどかの声。
 振り向くと夕日を背に受けて歩いてくる姿が瞳に映った。
「帰ってこないから、心配してたのよ」
「あ……」
「もう暗くなるし、家に帰りなさいな」
「でも、あたし……」
 俯いて言葉を吐くあかねの背中をのどかが優しく撫ぜる。
「また今度。一緒に作りましょう。ねえ、あかねちゃん」
 言葉もなく、ただ頷く。
 声を出すと泣き出してしまいそうだった。
 背中に感じるのどかの手が温かくて、泣きたくなった。
(お母さんって、こんな感じなのかな……)
 かすみとは違う「母親」の存在をふと感じて、少しだけ嬉しくなった。




 東の空はグレーに染まっている。
 西の方では薄い蒼とほのかなオレンジとが混ざり合ってちょうど頭上で交差していた。
 曖昧な空の色を仰ぎ見ながら歩く。
 さっき別れたのどかの言葉を思い出した。


「乱子ちゃんも、心配してたわよ」


 どこかに逃げてしまったわけじゃなかったんだ。
 そう思うと、なんだかほっとした。
 あのままお団子が出来たとしても、自分が手伝ったということできっとまた文句を言うに違いなかったけれど、それでもどこかに行ってしまったわけではなかったのだ。
 それが母・のどかのためであったとしても、それはどうでもよかった。
 そう。
 それでもよかったのだ。
 手にした袋の中には、のどかと買った桜餅が入っている。
 今度は桜餅を作りましょうか、とそう言ってくれて、大きく頷いた。
 足取りは軽い。
 もやもやしてた気持ちは今はもうすっきりとしている。
 早く帰ろう。
 帰って、そして謝ろう。
 ごめんねって言えば、きっとうまくいくから。





 月見には少し早いけれど、
 今夜はほんの少しだけ素直になって
 そして月明かりの下で一緒に桜餅を食べよう。





















団子じゃ語呂が悪いので桜餅になりました。いや、かしわ餅でもよかったんだけど(もしくは安倍川)
書いてるうちにどんどん話が変わってしまい、こんな話になってました。ほんまは乱馬と喧嘩して仲直りをしようとあかねが模索するような、そんなつもりだったんだけど。乱子ちゃんが書きたくてのどかさんを出したら、こうなってしまいました。
なんか、よくわからん話。「母親」ってなんだろう? みたいな。なにがしたいねん、みたいな。
ただ単に、このタイトル思いついて、それを使いたかっただけです。
書いてて無性に桜餅が喰いたくなりました。

【2003.10.02】