空色
 

     空色






 夏の空は好き。
 日々、色合いを変える青色と、湧き立つ入道雲。
 手を伸ばせば届きそうな気にさえなる。
 むくむくと天空に向かうまっしろな雲。
 あの上に乗って、地上を見下ろしてみたら、一体どんな気分になるだろう。





「バカじゃねーのか、おまえ」
「なによ、あんたってほんっと、夢がないわね」
「夢以前の問題だろ」

 案の定というかなんというか。
 少女の漏らした言葉に、早乙女乱馬は呆れた顔をした。
 そしてまたお決まりのように、天道あかねは頬を膨らませる。
「いいじゃない、もしも雲に乗れたら気持ちいいだろうなーって思うくらい。雲が水蒸気の塊で、入道雲の中身はバリバリの静電気の嵐だーってことくらい、あたしだってわかってるわよ」
「むくむく膨れて、そこで雷起こすなんて、おめーそっくりだな」

 そういって、彼はがははと笑った。後ろからきたカバンの襲来を上体を折って避け、一歩離れてあかねを見る。
 彼女はまだ怒った顔。そうして思いっきりふんと顔を反らせると、歩き出す。
 その隣に当たり前のように並び、乱馬は許婚に声をかけた。
「雲っていやー、おまえん家、そんなような名前ばっかだよな」
「そうよ、悪い?」
「悪いなんて言ってねーだろ」
「おとうさんからして雲って字、入ってるもんね」

 なんとなく空を見上げ、流れる薄い雲を見ながら呟いた。
 あんな風な薄い、淡いような雲。
 ああいうのを――

「あーゆーのを、霞雲ってんだろーなー」

 乱馬がそう言って、あかねは驚いて隣に目を移した。
 同じく空を眺めていた乱馬が、なんだよ、という顔をしてこっちを見る。

「あんたがそんなこと言うなんて思わなかった」
「どーゆー意味でい」
「そーゆー意味よ」
 憮然と口を尖らせる顔に、舌を突き出してあかねは言ってやる。
 ついさっきの仕返しだ。
 相好を崩して、二人は再び空を見上げながら歩き出す。

 霞雲。
 本当は、ほんのり赤く染まった――淡い桜色を示す言葉であるけれど、ふんわりと空に浮かんでいるあの雲は、やっぱりかすみおねえちゃんに似ていると、あかねは思う。
「ねえ、じゃあなびきおねえちゃんは?」
「なびき?」
 言われ、乱馬は首を空へと反らせて考える。

 霞がなびいて雲になる。

 そんな風な言い回しをよく目に、耳にする。
 そのたび、二人セットになっているような姉が面白くもあり、羨ましくもなったものだった。

「あっちにいって、こっちにいって。色んなことやって、でも自分に都合が悪くなるとすぐ、消えたみてーにいなくなっちまう」
 仰いだままの姿勢でそう言い、頭を元の位置へと返してからあかねに向かった。
「そのまんまじゃねーか」
「そうよね、なびきおねえちゃんってそんなかんじ」
 いつもその被害に合う率が高い二人は、納得して笑う。
 あかねはほんの少し緊張しながらも、それを感じさせないように平静を装って次に訊ねた。
「ねえ、じゃあ次。あたしは?」
「あかね?」
「そう、あたし」

 さあ、乱馬はなんていうだろう。
 期待に満ちた目で見るあかねに対し、乱馬はあっさりと告げた。

「さっき言ったろ、おめーはあれだよ。雷雲。それでいーだろ」
 そう言うと、さっさと足を早めて歩き出してしまった。
 しばらく固まっていたあかねであるが、はっと気づいたようにその後に続く。追いかけて、服のすそをつかんで引き止めて、文句を言った。
「なによ、茜雲だってあるんだから!」
「そんぐらい知ってらい。夕焼け空の雲のことだろ」


 正確には、朝焼けに染まった物も含めての茜色だ。
 けれど、今はそういう細かいことを言っている場合ではない。
 今までさんざん形容してきておいて、どうして茜雲だけ無視するんだろう。
 なんであたしだけ「入道雲」なのよ。
 知ってるくせに、なんで言わないよ!


 あかねは口を尖らせて睨んだ。
 平然とした顔で横を向いている乱馬に腹が立ってきて、声色低く唸る。
「…………どうせあたしには合ってないって、そういいたいんでしょ」
「んなこと言ってねーだろ」

 返答は早かった。
 その反応にあかねは驚いて、ぽかんとした顔。
 乱馬はといえば、あかねの顔を見ていたかと思うと、わずかに「しまった」という表情を見せて言いよどむ。それでも、自分をじっと見つめる許婚の瞳に押されるようにして呟いた。
「……おまえに似合ってんじゃねーの?」
「え……?」
 聞こえた小さな声に、あかねは吐息を漏らす。
「ほんと……?」
「嘘ついてどーすんだよ」
「うん……」


 ドキドキと音をたてる心臓は、ますます鼓動を高めていく。

 嬉しい。

 こんなに嬉しい言葉を言われたのは、ずいぶんと久しぶりな気がした。
 こんなにも幸せな気持ちになったのは、本当に久しぶりだった。


 単なる「似合う」という言葉。
 たったそれだけの言葉。
 それはこんなにも胸を熱くする。

 姉二人のように、あれやこれやと理由をつけたわけじゃない。
 こんなかんじだと、そんな言葉もないけれど。
 それでも、嬉しくなる。 
 ふわふわと、宙に浮かぶ気分。
 顔がほころんでくるのをとめられそうにはない。


 ありがとう。
 うれしい。


 頬を染めて、そう口にしようと隣を見上げた時、同時にこちらを向いて乱馬は言った。


「ギャーギャーわめいて赤い顔してるおめーにはぴったりの名前だよな」
「なんですってー!!」


 瞬時に怒りで朱に染まり、あかねは振り上げた拳を乱馬の顔に叩き込んだ。






 朝焼け色。

 夕焼け空。

 真昼の青い空よりも柔らかくて、どこか優しさを感じさせる色。



 西の空はもう、ほんのり茜色。






















仕事終わって、駐車場から家に帰る時。ぽかん、と頭に一瞬で出てきた即決ネタ。
「空好き」の「空好き」による「空好き」のため――でもなんでもない、おはなし。
20000HITにフリー配布という形でさらしておりました。
貰ってくれた心の広い方、ありがとうございました。