サンドリヨン1 その1
トアル国の都は今、国中がそわそわと浮き足だっています。
それもそのはず。もうすぐこの国では大きな舞踏会が開かれるのです。
そして、その舞踏会で王子様が花嫁をえらぶと、国民の間ではもっぱらの噂。
王子様もお年頃。外交的にも縁談の話が出てくるころでしょう。
お城はその噂をやんわりと否定しましたが、それはおそらく建前。
本当は出席者の中から、未来の王妃となる花嫁さまを見定めようとしているに違いないのです。
けれど、公にそうと認めてしまうと、諸外国に角が立ちます。
王家には対面というものがございます。
偉い人は偉い人なりに大変なのです。
そんなわけで、王子と同年代の娘を持つ家は、舞踏会の日時が迫るとともに、目の色が変わっていました。
なにしろ、相手はトアル国の王家です。
そこに嫁ぐとなると、ご近所の目も変わります。
一躍、ご町内の有名人です。
いつもは冴えない父親だって、一目置かれます。
ほら、あれが未来の王妃様のお父様よ。
やっぱり風格があるわよねえ。
でっぱったおなかだって、「貫禄」に見えることでしょう。
もう、ビールっ腹とは言わせません。
それなりの資産家だけでなく、国中の娘という娘にチャンスがあるのです。
脱・貧乏に燃える家は、まさにファイヤーです。
国の外れにあるテンドー家でも、舞踏会に向けて力が入っていました。
「なにグズグズしてんのよ、アカネ」
「別にグズグズなんてしてないわよ」
「気乗りしないの? アカネ」
「……だって……」
「そうよね、あんた勘違いしてたぐらいだもんね」
三人の娘たちがなにやら言い合いをしています。
アカネと呼ばれた一番幼い顔立ちをした少女が、バツが悪そうな顔をしてうつむきました。
「ナビキ、そんな風に妹をいじめるのはおよしなさい」
「別にいじめてなんてないわよ、おねーちゃん」
どうやら三人姉妹らしいこの娘たち。
ナビキと呼ばれた少し険のある顔をした少女は、肩をすくめて言いました。
「だって事実じゃない。ぶとうかいをぶどうかいと勘違いするなんて、バカもいいとこよ」
「あら、アカネらしいじゃない」
「らしいっちゃーらしいかもしれないけど、普通しないわよね、そんな変な勘違い」
「だ、だって、似てるじゃないっ。それにおふれだって──」
「言葉の響きは似てるかもしれないけど、王様がそんな物騒なまねすると思う? しかも女の子ばっかり集めて?」
「……でも」
「もういいじゃない。ねえアカネちゃん」
「…………」
どうやらアカネという娘さんは、「舞踏会」を「武道会」と解釈していたようです。
国中の女の子が「王子の嫁の座ゲットだぜ」と燃えている中、この子だけはトアル国一武道会女性チャンピオンの座に燃えていたのです。
どこかポイントのずれた女の子でした。
けれど、そのお姉さんのほうは、きちんと野望に燃えているようです。
「まあいいわ、とにかく王子の目に止まるようにするのよ」
「でも、どうするのナビキ。うちは貧乏だし、派手な衣装なんてないわよ?」
「どうせ周りが派手なんだから、ちょっと控えめな方が目立つんじゃない? それよりアピールが大事よ」
「アピールって、どうするの?」
アカネに問われて、ナビキはにやりと笑います。
「いいことアカネ。これはチャンスなのよ。なまじ王子の目に止まらなかったとしても、他にも国内の資産家がわんさか参加してるのよ」
「つまり……」
「そう、目指すは王妃の座だけど、最悪大臣の息子とかでもいいのよ。とにかく金持ちのボンクラ息子を見つけるのが目的よ」
「でも、そんなの……」
「あんたねえ、世の中お金よ? 愛があればお金はいらないだなんて、そんなの子供の言うことよ。甘いわね」
びしぃと指をつきつけられて、アカネは押し黙りました。
ちらりともう一人の姉・カスミをみると、こちらはわかっているのかそうでないのか、穏やかに微笑んだままです。
今日の夕飯はどうしようかしらと悩んでいるのかもしれません。
没落同然のこの家では、使用人が一人も存在せず、家事はすべてこの長女が取り仕切っているのでした。
姉のナビキが守銭奴なのは、家名を慮ってのこと。
──とはいえない場合も多々あるにはあるけれど。
それでも、彼女は彼女なりに家を──ひいては、家族のことを考えているのはたしかなので、アカネもそれ以上の反論はさけました。
だけど、本当のところは気乗りしないのです。
周りが浮かれ騒ぐ中、何故か一人だけ沈んでいる自分。
そんな自分はちょっとおかしいのではないだろうかと思うぐらいに、アカネは「舞踏会」への参加に尻込みしていました。
トアル国の王子様。
噂というのは決して当てになるものではないけれど、聞くともなしに聞こえてくる世間の声からすると、王子様というのは美男子で、公明正大な紳士であるということです。
顔の美醜に関しては、当てにはならないでしょう。
王室者の肖像画というものは、得てして美化されて描かれるものだからです。
王族の本当の姿を見たことなど、勿論アカネにはありません。
そんな高い身分ではないからです。
だからだろうか……。
ふと考えました。
分相応だ。
そう思うからこそ、行きたくないと思っているのかもしれません。
武道会ならともかくとして、舞踏会だなんて。
そんな華やかな場所に行くには、あまりにも自分は不似合いだと思っているのです。
それでいて「武道会になら参加する気満々だった」という矛盾点には、彼女自身気づいていないようでした。
それからというもの。
ナビキは毎日のように出かけては情報収集に励んでいました。
どこそこの家ではなにを準備しているとか、あそこの家では金貨何枚もするドレスを発注したらしいとか。
それなりの家ならば、間者を使って調べさせることを、この娘さんは己の身ひとつで成し遂げていきます。
そのぐらいの才能があれば、玉の輿になど乗らなくてもこの世の中を十二分に渡って生きていけるのではないかと思いますが、それはそれ、これはこれというやつです。
入念な下調べをしながら時は流れ、トアル国中が待ちに待っていた「舞踏会」の日がついにやってきたのでした。
**
「じゃあ、アカネちゃん。戸締りには気をつけてね」
「具合よくなったら来なさいよ。パーティーの料理なんてどーせ国民の税金で用意してるんだから、食べないと損じゃないの」
姉の言葉に、アカネは苦笑して手を振りました。
ゴホゴホっと堰をします。
アカネは風邪を引いてしまったのです。
昨夜、お星様に「どうか早く舞踏会が終わりますように」とお願いをして、そのまま眠ってしまったからでしょう。城下町から外れた場所にあるここは、すぐ裏には深い森が広がっている、トアル国の中でも西の端にあるような所。
田舎というのは、夜はそれなりに冷えこむものなのです。
普段のアカネならば、多少の体調不良などたいしたことではないのですが、もうひとつ問題がありました。
せっかく姉が用意してくれた空色のドレスを、雨露に濡らしてしまったのです。
ナビキが情報収集に明け暮れた結果、どうやら王子様は花嫁の存在を夢見したらしく、そのキーワードとなるのが「夕暮れのような花」
噂は噂を呼び、いつしか「あかがねの君」と称されるようになった、どこかにいるはずの、そして舞踏会で王子と対面するであろう花嫁候補に選ばれようと、娘達はこぞって茜色を基調としたドレスを作っているようです。
同じじゃ目立たないから、逆を狙うのよ。
そうしてナビキがアカネのためにつくったのが、晴れた空のような色のドレスだったのです。
それでいて自分はしっかりと紅のドレスを着ているあたり、単に敬遠されたといえなくもありませんが。
姉に見つからないように、こっそりしぼって干して、乾かそうとしました。
武道会チャンピオンの座を狙うアカネは、この洗濯の際、思いっきりドレスを叩き、皺のないようにピンと張り。
そして張りすぎて、破いてしまったのでした。
言えません。
ナビキがなけなしのへそくりを使ってオーダーしたのです。
カスミが夜なべをして見事な縫い取りをしてくれたのです。
そうして完成したドレスを台無しにしてしまっただなんて……。
とてもじゃないけど、言えませんでした。
しくしくしく。
アカネは泣きます。
いつまでも隠していられるものではないからです。
舞踏会は夜通し行われます。
きっと金持ちを捕まえようとナビキは粘るでしょうから、夜明けまで帰ってはこないことでしょう。
時間はある。
けれど、このドレスを元通りにする術をアカネは持っていませんでした。
不器用だからです。
ヘタに手を入れると、壊滅してしまいます。
しくしくしくしく。
アカネは泣きます。
どうしよう。
おねえちゃんに怒られる。
っていうか、殺されるかもしれない。
「おめー、なにメソメソしてんだよ」
アカネの耳に女の子の声が聞こえました。
顔を上げると、月明かりの下、奇妙な扮装の女の子が立っていました。
暗闇に同化するかのような黒いマントを羽織り、頭には大きなとんがり帽子。その下からぴょこんと覗くおさげ髪。小生意気な瞳でこちらを見つめています。
「あなた、誰?」
「通りすがりのモンだ」
「通りすがりって、ここうちの庭じゃない。勝手に入ってきてっ」
よくよく考えてみると妖しい扮装です。
アカネは強気で叫びました。
「け、警務官を呼ぶわよっ」
「なんだよそれ。おれ、別になんにもしてねーじゃねえかよ」
女の子は不機嫌そうな声でそう言いました。
たしかに泥棒というわけではなさそうです。
もっとも、テンドー家には盗まれるようなものはなにもないのですが。
「……あなた、誰なのよ。どうしてうちの庭にいるの?」
「だから、通りすがりだって言ってんだろ」
「そんなわけないじゃない、ここ通り道じゃないもの」
「いちいちうるせー女だな」
「あなたに言われたくないわ」
そうしてアカネは気づきました。
どうしてこの女の子はこんなところにいるんだろう?
今日は国中の娘たちが舞踏会に出席しているはずなのに……。
「ねえ、あなたは舞踏会に出席しないの?」
「おれが? 冗談じゃねえ。あーゆーキラキラしたお上品なのは性に合わねーんだよ」
「だけど、招待されてるんでしょ?」
「そーゆーおめーはどうなんだよ、行かねーのか?」
「あたしは……、風邪、引いちゃったから。移ると悪いし」
「風邪引いてるよーには見えねーけどな……」
「どーゆー意味よ!」
喰ってかかった途端、ゴホゴホっと堰込みました。
目の前の女の子は驚いて、そわそわと、おたおたとアカネの周りを飛び跳ねます。
「おい、大丈夫か」
「平気よ、これぐらい」
急に声に覇気がなくなった女の子がおかしくなって、アカネは笑いました。
ここ最近、ずっと舞踏会のことを気に病んでいたアカネです。笑うというのも久しぶりなような気がしました。
女の子はというと。
月明かりの下で笑うアカネの顔の、意外なほどの明るさと可愛らしさに、しばし呆然と見とれているようです。
けれど、はっと気づいたように首を振ると、まだ少々赤い頬をしたままでアカネに言いました。
「そんぐらい元気なら、舞踏会行けるんじゃねーのか?」
「え? ……そうね」
「……なんだよ、行きたくねーのか……?」
不満そうな顔で女の子が言いました。
アカネは返します。
「あなただって行ってないじゃない」
「おれはいーんだよ、別に」
「どうしてよ」
「どうしてって……」
女の子は気まずい顔をしています。
なにか事情がありそうです。
実はやっぱり泥棒かなにかで、お城から手配でも受けているのかもしれません。
恐怖を感じてもいいはずなのに、アカネはどうしてでしょう。
この女の子のことが「恐い人」だとは思えなくなっていました。
「──あたしね、あんまり乗り気じゃないんだ、舞踏会」
そうしてアカネは、ぽつりぽつりと語り始めました。
舞踏会を武道会だと思っていたことも、顔も知らない雲の上の人である王子様や、他の有力貴族に媚びを売るようなまねは嫌なこと。そもそも男の子なんて苦手なこと。
ご近所の手前、舞踏会には参加した方がいいことはわかっているけれど、せっかくのドレスをダメにしてしまったので、もうどうにもならないことも。
女の子は黙ってきいていましたが、アカネが言葉を止めると頷きました。
「おれに任せろ。なんとかしてやるよ」
「なんとかって……」
「カボチャ、あるか?」
「──はあ?」
いきなりわけのわからないことを言い出しました。
きょとんとしていると、焦れた様子で言い立てます。
「だから、カボチャだよ。なるべくデカイやつがいいな。それから、ネズミとかいねーか?」
「うち、ネズミなんていないわよ」
「なんでもいーや。動物いねーのかよ」
「……子豚と、アヒルなら」
「じゃー、それでいいや」
「──なにするつもりなの?」
「いいから、さっさと持ってこいよ」
わけのわからないままですが、アカネは女の子の前に豚とアヒルを連れてきました。
そして、自家農園からカボチャを転がしてきます。
女の子は満足そうに頷くと、羽織ったマントを広げ、かぼちゃに手をかざしました。
「はあぁー──」
なにやら気合いを入れはじめました。
女の子は真剣です。
かざした手の平に闘気が集まりはじめるのを、アカネは感じました。
見えないはずのそれが青白い光となって、まるで月明かりのように輝きだすのがわかります。
息を呑みました。
ひょっとしてこの女の子は魔女なんだろうか。
そういえば、そんな扮装をしている。
アカネは今頃その可能性に気づきました。
森には魔物が住みついているともっぱらの噂でしたが、実際に見た人は少なかったので、たいして気にはしていなかったのです。
魔女は不思議な力を操り、自在に空を駆けるともいいます。
通り道だった。
さっき女の子はそう言わなかったでしょうか。
もしかしてひょっとすると、
本当に魔女なのかもしれません。
アカネが考えている間にも、光は輝きを増します。
青白い光はさらに集まり、純白の光にも似た明るさにまで達していました。
暗闇の中、女の子の手で光る不思議な力。
未知なる力。
魔法の力。
アカネは不思議と恐いとは思いませんでした。
真っ白な光は、いっそ優しく感じられるほどです。
「はっ!」
女の子が気合いとともに、カボチャに向かって手刀を振り下ろしました。
ぱっくり割れる勢いでしたが、カボチャは割れるどころか膨張をはじめます。
さらに光が増し、直視できなくなってアカネは腕を上げてさえぎりました。
ぐんぐんと大きくふくらんだカボチャは、光が収まるとともにその全貌を現し、アカネは驚きのあまり口を開きました。
そこには「ずんぐりむっくり」という言葉が似つかわしい、大きすぎるカボチャがあったのです。
ただのカボチャではなく、くり抜いた窓。扉。そして、大きな車輪。
黒と白の二対の馬がブヒブヒ、クワァーと鳴く、カボチャの馬車がそこにありました。
女の子はひらりと御者台にあがり、呆然とするアカネに対して、まだ光っていた手をかざします。
光はアカネに降り注ぎました。
細かな粒子となり、アカネを取りまきます。
今まで遠巻きに見たことがあるどんな宝石よりも、それは美しい輝きでした。
水面に反射する太陽のようでした。
輝く光はやがて霧散し、その後に立っているのは、輝く真っ白なドレスを身にまとった少女の姿。
女の子は満足げに頷くと、そのまま座りこみ手綱を握ります。
「なにしてんだよ、行くぞ」
「行くって……」
「決まってんだろ、お城だよ」
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