Snow White Chapter 2 小人の家 | ||
前方に明かりが見えたのは、どのぐらい歩いた後だったのでしょう。脚力には多少自信があったあかねですら、「もう痛くて歩けない」と思うほど、疲れきった頃でした。 木々が開けて、空が見える場所。やっと道らしい道──といっても、獣道に近いような細く小さなものではありましたが――道が現れて、あかねの顔にようやく笑みが戻りました。 道があるということは、誰かがいるということです。 水の一杯だけでもいいから、恵んでもらおう。 あかねは細い道を見失わないように追い、そうしてひとつの家に辿りつきました。 「ごめんください、誰かいらっしゃいませんか?」 若干、屋根が低めの一軒屋。平屋の木造住宅で、呼び鈴らしきものもノッカーも見つからなかったので、あかねは扉の前で声をかけました。 ですが、応答がありません。 まだ日が高いから、出かけているのかもしれない。 家の前で待たせてもらおうかしら。 ここがどこかも訊きたいし、周囲の地理も聞いておきたいところです。 それになによりも── ぐー…… お腹がすきました。 パンのひとかけでも恵んでもらえれば、言うことはありません。 ほんのわずかなお金ならば、懐に忍ばせてあるから、それで譲ってもらえれば。 そんなことを考えてみると、ますますお腹がすいてくるような気がしてきました。 お城に上がってから、今まで食べたことのないような料理をたくさん口にしました。 勿論それは、王様達が食するものに比べたらなんてことのないものでしたが、隣の隣、そのまた隣向こうの隣の国でしか取れない珍味を加工したスープであったり、山育ちの子羊のソテーにかけるソースのために、五千人の部隊が隣国に攻め込んだりするような、庶民には想像もつかない手間と人力とがかかった料理の数々のおこぼれに与り、あかねは「夢見心地ってこのことなんだわ」と、日々神に感謝していたのです。 想像のせいでしょうか。鼻腔をくすぐる、とてもいい香りが漂っているように感じました。 ぐるぐるぐるぐる…… 呼応して、お腹が鳴ります。 はしたない。 あかねは頬を赤らめ、それでも欲求に打ち勝つことができずに、おそるおそる家の中に足を踏み入れました。 ギシ…… 板の間が音を立てます。それでも誰かが出てくる気配はありません。本当に留守なようです。 匂いを嗅ぎ取りながら、あかねは進みました。 伸びる廊下をまっすぐに進み、突き当りを右に折れると、そこはどうやらキッチンのようでした。かまどには鍋がかかっていて、チロチロと燃える炎が底を舐めています。ふんわりと湯気が立ち上がり、それがなんともいい香りです。 そろそろと覗いてみました。中身はスープです。ひしゃくで混ぜてみると、具材はひどく少ないことがわかりました。ほとんどが野菜で、とろとろに煮込まれてくったりとしたたまねぎが、引き上げたひしゃくに引っかかっていました。 ごくり。 あかねは唾を呑みます。 美味しそう。 熱に浮かされたようにあかねは、テーブルの上に並べられていた小さな器をひとつ手に取るとスープを注ぎ、設置されている小さなスプーンをとると、手を合わせて口にしました。 実家で食べていた、簡素なスープによく似ています。だけど、それよりももっと深い味わい。作り手の気持ちがよく伝わってくるような、そんな温かい気持ちになれるスープでした。 優しさに触れたような気がして、あかねの目に涙が浮かびます。 この料理を作る人は、一体どんな人なんだろう。 気づくと、おかわりを繰り返し、スープの中身は半分にまで減ってしまっていました。 疲れきっていた後に満腹になると、人間は眠くなるものです。 朝から緊張を強いられていたあかねは、「人のいる場所にやっと出てこられた」という安心感も手伝い、とてつもなく眠くなってしまいました。 (少し……、そう、ほんの少しだけだわ……) 黙って上がりこんでしまったんだから、家主にきちんと詫びをいれなければ──。 そう思いながらも、睡眠欲求には勝てず。あかねは、キッチンから近い部屋にある座りごこちの良さそうな椅子に腰かけて、そのままとろとろと眠り始めてしまったのです。 それからしばらく後のこと。外から、がやがやと人の声が聞こえ出しました。 男性と女性と、入り混じって聞こえてきます。 総勢六人で現れたその集団は、普通の人間よりずっと低い背丈をしていることがわかります。彼らがこの家の住人であり、この森に住み着いている小人族です。 「腹減ったなー」 「お鍋にかけたスープがちょうどいい具合になっている頃だと思うわ」 「おねーちゃん、火かけたまま出てきたの?」 「ええ、そうよ」 「──火事になっとらんといいが」 「不吉なこと言わないでくれるかい?」 「煙が上がっているわけでもないし、平気ですよ、きっと」 なんとも呑気そうな彼らは家に辿り着き、そうしてキッチンで半分にまで減ってしまったスープを発見したのです。 「おかしいわね、煮込みすぎたかしら?」 「そうじゃないでしょ」 「器が使われているわね」 「泥棒か?」 「食事をする泥棒ってのも珍しいけど」 「金目の物が盗られてないか、確認しないと」 眼差しも強く、少女が宣言したのを合図に、各人は家の中をあらためはじめます。そんな中、負けん気の強そうな少年は自分の部屋の確認に出かけました。家の中にある物のことは男の自分にはわかりません。ならば、自分がわかる場所だけでも確認しておこう。そう思ったのです。 「…………っ!?」 部屋に入るまでもなく、異常事態を彼は発見しました。 彼のベッドの前に、自分の倍ほどはある大きさのなにかが鎮座しているのです。 (こいつ、外の人間か?) 森の外には、自分たちよりも大きな身体を持つ人間達が住んでいることは知っています。ごくまれに、そういった人たちが迷い込んでくることもあるため、彼はこの人間も同じように迷い込んできて、そうして留守だったうちに勝手に上がりこんだのだろう──と判断しました。 そろそろと近づきます。外部の人間はとても大きいので、迂闊に近寄るとこちらは怪我をしてしまうからです。同じ小人族相手になら誰にも負けない自信がある少年は、向こう見ずに戦いを挑むことはせずに、まず相手の力量を確かめてやろうと思いました。賢明な判断です。 「……ん……」 その時、ベッドに頭を乗せていた人間が寝返りを打ち、顔が少年の方に向きました。 すぐそばにまで来ていた少年が、ちょうど覗き込める位置に顔が来て、そしてその寝顔に驚きます。 (……女だ、こいつ) 今までやって来るのは、むさいおっさんばかりだったので、少年は意外に思いました。 それに付け加え、人間の顔をこんな風にしげしげと眺めたことは初めてで。そして大きさ以外は、自分たちとたいして変わらない顔立ちをしていることにも驚きを感じたのです。真ん中に鼻が通り、そして寝息をたてる口。今は閉じられているけれど、二つの瞳はどんな色をしているのでしょうか。 珍しいものを見て、それがちっとも恐いものではなかったせいで、少年は攻撃も警戒も忘れてついつい見入っています。と、その時。気配を感じたのか、人間がぱっちりと目を開けました。 自分たちと似たような、大きな黒い瞳── 「キャー!」 「うわっっ」 双方が双方に驚いて、大きな声が上がります。悲鳴をききつけて、他の小人族がわらわらと集まってきて、少年の部屋に大集合しました。 「何事だね、乱馬くん」 「あ、おじさん。実は──」 やってきた中では一番背の高い男性に、少年が焦りながら口を開くと、少年の言葉を聞くより前に、唾とともに言葉を返されてしまいました。 「乱馬くんっ、キミって男は居候で未成年の身でありながら、寝床に女人を連れ込むとは、一体どういうつもりだね」 「乱馬、貴様というヤツは」 「事と次第によっては許しませんよ」 「なんの話だー!」 大人三人が乱馬と呼ばれた少年に詰め寄る中、二人の少女があかねに気づいて興味深そうに近づいてきます。あかねは驚きに目を見開いたまま、硬直しているしかありません。 寝るつもりはなかったのに寝てしまって。 人の気配がすると思って目が醒めたら、いきなり顔が見えて。 ビックリしたと思ったら、人が増えて。 その人は、自分よりもずっとずっと小さな身体をしているのです。 どうしたんだろう。あたし、身体が膨れちゃったのかな。 黙って人の物を食べたりしたから、留守の家に勝手に上がりこんで休んでいたから。 きっと神様がお怒りになって、あたしに罰を下したんだ。そうに違いない。 どうしようどうしようどうしようっ。 一人でパニックになっているあかねを面白そうに見ているのは、髪を綺麗に肩で切りそろえた少女です。好奇心旺盛な眼差しで、まるで値踏みするように頭から爪先まで舐めるように眺めます。 「なびき、お客様に失礼よ」 「勝手に入り込んでる相手に、お客様はないでしょ、おねーちゃん」 「でも、相手は別に化け物でもないみたいだし、討伐隊ってわけでもないみたいだし」 「人間は見かけによらないっていうじゃない。騙されちゃダメよ、おねーちゃん」 人差し指を立てて力説した後、その指をあかねに向け直し、なびきという少女は笑って言いました。 「でもまあ。そんな演技が出来そうなほど器用には見えないわね、この人間は」 「あの、ご──ごめんなさいっ!」 呆然としていたあかねは我に返り、謝ります。 けれどその声の大きさに一同は耳を塞ぎ、塞ぎそこねた乱馬だけが頭を抑えて座り込み、あかねが立ち上がった振動で、壁の額縁がガタンと落ちました。 「……ご、ごめんなさい」 静まった部屋で、あかねは再び肩をすぼめました。 |
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