Snow White Chapter 3  森の民
 




「小人の森、ですか?」
「知らないのかね?」
「ええ、あたしもう少し離れた場所で育ちましたから、この辺りのことはあまり知らないんです」
「それでよく森の中に入ろうなんて思えたもんだねぇ」
「知らないからでしょ」

 あかねを前に、小人六名が並んでいます。
 なびきが言葉を吐いたと同時に、お茶が運ばれてきました。
 ここは家の中で一番広い部屋。そこでないと、身体の大きなあかねとゆっくり話が出来るスペースがなかったからです。いつの間にか寝入ってしまっていた少年の部屋から移動して、あかねはここが小人族が住んでる森であり、人が立ち寄ることも少ないような奥地であることを知らされました。
 自分が巨人になったわけではなく、彼らの方がもともと小さい種族であることがわかり、あかねはひとまず胸を撫で下ろします。けれど自分が不法侵入したことには変わりなく、やっぱり少しばかり居心地はよくありません。

「はい、お茶どうぞ。ごめんなさいね、大きさに合うカップがなくって」
「いえ、そんな。ありがとうございます」
 カップというよりは大きめのボウルが机の上に置かれ、あかねはそれを手に取りました。
 お茶を運んでくれたのは、のどか。この家のお母さん。家長であるのは一番背高な──といっても、あかねの半分にも満たないのですが──、男の人。でも、のどかの旦那さんは、この家長・早雲ではなく、その隣に座っている体格のよい玄馬らしい。一番最初に顔を見た乱馬という子は、のどかと玄馬の子供で。二人の姉妹、かすみとなびきが早雲の子供。この家では、二つの家族が同居して暮らしているのだそうです。


「それで、どうするつもりなのかね?」
「──わかりません。決めてないんです」
 そもそも帰る場所もあるような、ないようなだし──。
 口にはせず、胸中で呟きます。  あかねの重い様子を察したのでしょうか。のどかが、のんびりと口を開きました。
「急ぎの旅じゃないのなら、しばらくここへいらっしゃいな」 「そうですね、最近うちを留守にすることが多いから、お留守番がいてくれると助かりますものね」
 かすみがおっとり同意します。
「外から来た人と暮らすなんて、めったにあることじゃないわよね。面白い話が聞けるかもしれないわ」と、なびきがほくそ笑むと、「まあ、いいんじゃないかね」と、玄馬は楽観したように笑い声をあげました。
「宜しい。あかねさんとかいったかね、皆もこう言っていることだし、ゆっくりして行きなさい」
 家長の早雲が、鷹揚に頷きます。
 いいんだろうか──。
 あかねは恐縮する思いで、みんなを見回します。
 色んな視線を感じます。でもそれは決して不愉快なものではありません。
 面白がっているようでいて、でも決して攻撃的なものではなかったからです。
 答えを口にしようとして、あかねは下唇を軽く噛みました。
 なんだか上手く言葉が出てきません。
 どういっていいのか、よくわからなかったのです。
「……ありがとう、ござい、ます……」
 消え入りそうな声でそう言うのが精一杯でした。


 一悶着が起こったのは、そのすぐ後──、滞在することになったあかねがどこで寝泊りするのかを決める時のことです。
「なんで、おれの部屋なんだよっ!」
「仕方ないじゃない、あんたの所が一番頑丈だし、あたしとおねーちゃんとおばさまの部屋で一緒にってわけにはいかないでしょ」
 どうやら、あかねに提供される場所が乱馬の部屋──、つまり一番最初にあかねが寝てしまったあの部屋らしく、乱馬はそれを不満がっているようです。
 やっとあてがわれた己の一人部屋を、いきなりやってきたわけのわからない人間に使わせなければならないその理由が、彼には理解できなかったのです。この部屋が無くなるとまた、父親とおじさんと一緒の部屋に押し込まれることも窮屈で嫌だということもあったりします。思春期の男の心理は、なかなかに複雑です。
「もともと物置に使っていた部屋だから、あんまり綺麗じゃないかもしれないけど、我慢してくださいね」
「そんな、泊めていただけるだけで、別にあたしはどこでも結構ですから……」
 乱馬の目を背中に受けながら、あかねは遠慮しました。
 なんで俺がこんな目にあうんだ──という理不尽な気持ちが、ガンガン伝わってきたからです。
 すると、玄馬が大きな拳で乱馬をぶっ叩きました。
「このバカ息子がっ。お客様を廊下や納屋に寝泊りさせるつもりかっ」
「そんな薄情な子に育てた覚えはありませんよ」
 のどかが威圧感を込めて呟くと、乱馬の顔が強張りました。どうやら母親には頭が上がらないようです。
「あかねさん、どうぞ」
 勧められてあかねは、頭をひとつ下げて部屋に入りました。
 荷物もなく、身ひとつでやってきたあかねですから、部屋にあるものをそのまま使わせてもらうしかありません。でも、元があの少年の物だと思うと、悪いような気がしてきます。
(怒ってたよね、あの子……)
 そう考えると、なんだか気が重くなるあかねでした。




 翌日からあかねは、ただ家に居るのも悪いから──と思い、手伝いを申し出ることにしました。
 彼らは朝からみんなで出かけて行きます。どこへ行っているのかはよくわかりません。プライベートなことだったり、ひょっとしたら小人族の秘密だったりするかもしれないので、ちょっと訊きにくかったりもしましたし、つい昨日会ったばかりの他人が詮索するのも気が引けたこともあります。
 どうやら昼に一度御飯のために戻ってきて、また再び出かけていくようなので、あかねは家の掃除やご飯の支度など、そういったことをやってあげよう──と、そう決意したのです。

「そんな、気にしなくてもいいのよ」
「泊めていただいているのに、働きもしないなんて。そっちの方が悪いもの」
「──でも、お客様にお掃除させるなんて、ねえ」
 気の毒そうにかすみが言うと、あかねはなおも言います。
「いいんです。あたし、そういう仕事をする係に憧れてたんです!」
「──憧れ?」
「はい。お料理したりするのって好きなんだけど、あんまりやらせてもらえなくって……」
 台所は主婦の領域だから──と、養父母の家ではあまり包丁に触らせてはくれませんでした。
 そんなあかねに出来ることといえば、頭の中であれこれと組み合わせて、独自の料理を考案することだけでした。お城に上がることになった時も、ひょっとしたらそういう部署に入れるかもしれないと期待を抱いたのですが、残念なことにそれは叶いませんでした。
「いいじゃない、かすみちゃん。やっていただきましょうよ」
「でも、おばさま……」
「出払うことが多いものですから、なかなか家のことにまで手が回りませんの。あかねさんが手伝っていただければ、とても助かりますわ」
 そう言ってのどかが微笑み、あかねもまた大きく頷いたのです。
 けれど、好きだからといって、それが得意であるとは限らないものでございます。
 いざ掃除を始めたあかねは、当初のウキウキした気持ちをすっかりなくし、途方に暮れていました。
「……どうしよう……」
 そう。ここは、小人族の家なのです。
 通常の家に比べると、色々な物のサイズが、半分ほどであったりもするのです。
 箒を持ったら枝が折れるし、雑巾をしぼると引き千切る。机を拭いているうちに天板にヒビが入り、窓ガラスはパリンと外に割れてします。
 掃除をするつもりだったのに、逆に掃除が必要な状況を、今あかねは作り出してしまいました。
 みんなになんて言えばいいだろう……。
 せっかく自分に託してくれたのに、どう謝ればいいだろう──。
 そもそも謝って済む問題じゃない気もします。
 グツグツと煮込まれたスープをかき混ぜながら、あかねは言い訳を考えていました。
 上の空でかき混ぜる鍋。黒い煙が出ているのは気のせいでしょうか? 「芳しい」には程遠い匂いもしますが、掃除をするためにマスクをしていたあかねは、まったく気がつきません。
 小人族の家は、別の意味でピンチを迎えていました。
 そこへ戻ってきたのは、不幸になる予定の家族達。まず最初に異変に気がついたのは、一番食い意地が張っている親子でした。
「──なあ、なんかすげーヘンな匂いしねえか?」
「そうじゃな、こう鼻にツーンとくるような、突き刺さるような」
「目に痛ぇー感じ」
「通りかかった人間が、生モノでも捨てていったんじゃないの?」
「ひどいわねえ、うちが近くにあるのに」
「後で探して埋めておきましょう、そのうち肥料になるでしょうし」
 その異臭の発生源が自分たちの家にあることに気づいた時、家族は蒼然としました。
 だって、なんということでしょう。
 窓ガラスは割れているし、屋根にも穴が開いています。壁も一部倒壊していました。
 討伐隊が来たのか──!?
 森には、しばしば小人族を蹴散らかそうとする人間たちがやってくるのです。いつもは撃退してやるところですが、今あの家にいるのは、あかねです。
 そう、あかね一人しかいないのです。
 同じ「人間」だからといって、譲歩して見逃してもらえるとは思えませんでした。
 それどころかひょっとして、小人族の仲間と見なされてひどい目にあわされているかもしれません。
 乱馬は走り出しました。その後を追うように、皆があわてて家に走り寄ります。
「おい、大丈夫かっ!」
「あかねさん!?」
 荒れまくった家の中を走り、台所に駆け込みます。
 異臭が襲ってきました。
 ものすごいにおいです。
 クラクラします。
「──おかえりなさい。あの……その、ごめんなさい、私、その……」
 もじもじとあかね。考えていた言い訳を口にし始めますが、臭いに負けて倒れ伏し、それを聞いているのは誰一人いませんでした。



 翌日、あかねは朝から暇でした。
 もうなにもしなくていいから。
 きっぱり言われたわけではありませんが、言いたいことはわかりました。
 単なる留守番でいいから、気楽にしていてください。
 そう言われて、あかねは「なにかさせてください」とは言いにくくなってしまいました。
 自分が何かをすると逆に被害が広がりそうなことを、さすがに理解したからです。
 家に居てもすることがありません。下手に動いて、床を踏み抜いてしまっては悪いですから、あかねは外に出ることにしました。
 いずれは出て行かなくてはならない身です。今のうちに周りの探索をしておいてもいいでしょう。そして、この辺りのことを目に焼きつけておこう──、そう思いました。
 突然現れた見知らぬ人間を温かく迎えてくれた小人さん達のことを忘れないためにも。
 ずっとずっと覚えていられるように。
 いつか再びここを訪ねて来られるように。


 深い森なのに空気が澄んでいることとか。
 こんな場所でも花がいくつも咲いていることとか。
 こぼれる陽射しがとっても綺麗な模様を作ることとか。

 全部ぜんぶ、覚えておきたいから──。













 
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