Snow White Chapter 5  薔薇の香りと甘い罠
 



 ところ変わって、森の奥。
 今日も今日とて暇を持て余していたあかねは、散歩に出かけます。
 道端の花を愛で、鳥のさえずりに耳をすませる。
 隠居生活のような感覚です。
 小人達は相変わらず出かけて行きますから、本来ならばきちんと留守番をしなければならないのですが、あかねがここへやって来てから、かれこれ二週間余りが経過しますが、誰一人として訪ねてくる人もいないのです。気が緩んでしまうのも、無理はないというものでしょう。
 そんな折、あかねは目の端に緑の葉とは別のものを見出して、立ち止まりました。
 人です。
 人が歩いて来ます。
 小人ではなく、「人間」です。
 あかねは、久しぶりに見た同じ背丈の「人間」に、ちょっと嬉しくなって声をかけました。


「こんにちは、どちらからいらしたんですか?」
「はっ!?」
「あ、ごめんなさい。あたし、別に妖しい者じゃないんですっ」
 ビックリ驚いた様子の人間。フードを被っているので顔色はよくわかりませんが、同じ年ぐらいの少年のようです。あかねは、慌てて言います。
「あの、その。あたし、この先にある家にお世話になっていて、今ちょっとお散歩に出てて、あの、だから……、ひょっとして、お客様、ですか?」
「は、はじめてあかねさんと会話をしてしまった……」
「はあ?」
「い、いえ。なんでもありませんっ」
 五寸釘は舞い上がり、ドキドキしながらも小太刀から言われた通りの説明をします。
 自分は旅の行商人で、色々なモノを取り扱っている。森の奥深くに人が住んでいるという情報を主から聞かされて、何か欲しい物がないのかどうかやって来たのだ、と。
「そうだったんですか。ごめんなさい、あたしは留守番だから、何が必要かとかは訊いてみないとわからないの」
「じゃ、じゃあ。あなたにプレゼントを……」
「え? あたしに?」
「は、はい。お近づきの印に差し上げたいものが──」
「なあに?」
「こ、これなんです」
 そう言って、藁で出来た人形を差し出しました。
「これ、とってもよく効くんです」
「──はあ」

 あかねは引きつりながら、答えました。人間の形をかたどったその藁人形は、妙におどろおどろしい感じがしたのです。なんというか、触っただけで呪われそうでした。

「……お、お気に召しませんでしたか……」
 あかねの様子から判断し、五寸釘は落ちこみました。
 仕方なく、小太刀から渡すように命じられている花束を差し出します。
 棘に毒を仕込んだ、黒い薔薇です。
「これはボクの主からの贈り物です。どうぞ受け取ってください」
「薔薇の花?」
 お城のことを思い出しました。あの城は、どこからともなく薔薇の花びらが降ってくることで、とても有名だったのです。
(黒薔薇って、この国の特産なのかしら?)
 受け取りながら、あかねはそんなことを思います。
 チクリ。
 指先に痛みを感じました。
 棘だ。
 そう思ったときにはもう意識は遠のいていき、ぱったりとその場に倒れてしまっていたのです。



「ご、ご、ごめんなさい、あかねさん……」
 五寸釘は謝りながらも、あかねを連れて帰ろうと、その身体を持ち上げ──

「…………お、重い……」

 世の中の女性を敵にまわす発言をしました。
 意識のない人間がこんなに重たいだなんて──。
 五寸釘は焦ります。
 このままでは任務が遂行できません。
 汗だくで唸っていると、人の声が聞こえてくるではありませんか。
 小人が帰ってきたようです。
 五寸釘はフードを被り直すと、慌てて逃げ出しました。




「あれに見えるはっ」
「あかねさんじゃないの」
「どうして外で寝てるのかしらね?」
「そうじゃねえだろ」
 小人たちはあかねに走り寄ります。あかねは白い顔をして、その場に横たわっていました。当然、寝ているようにはちっとも見えません。
 脈を取っていたのどかが、あかねの指先に気がつきました。
「あら、トゲが刺さってるわ」
 呟いて、抜き取ります。
 するとどうしたことでしょう。ピクリとも動かなかったあかねが、目を覚ましたのです。
「……あれ、あたし」
「なにやってんだよ、おめー」
「えーと、たしか。フードを被った人が来て、そして黒い薔薇をくれて。棘が刺さって、それから──」
 まだぼんやりとした風のあかねが、そんなことを呟きます。
 そういえばさっき、走り去る人影を見たような気がしました。
 討伐隊でしょうか?
 だとしたら、そう簡単には引き下がらないかもしれません。

「ねえ、あかねさん」
「はい」
「ひょっとしたら、またその人がやって来るかもしれないわ。薔薇の花を受け取っちゃダメよ」
「わかりました。気をつけます」


 その翌日です。再びやってきた五寸釘は、小人宅の扉を叩きました。
「あの、ごめんください」
「はーい」
「あ、どうも、こんにちは」
「……あ、あなたは昨日の……?」
「いいえ、なんのことでしょう? ほら、僕のフードの色はグレーでしょう? 昨日の人は、黒くなかったですか?」
「そういえば、そうだわ。じゃあ、違う人なのね。ごめんなさい、人違いして」
 そんなわけありません。
「あ、あかねさんに謝られてしまった……」
「はあ?」
「いえ、なんでもありません」
 夢見心地の五寸釘は、今日こそはと黒い薔薇を取り出しました。
「あ、あの。あかねさん。どうぞ受け取ってください」
「──あ、薔薇……」

 決して受け取らないでくださいね。
 今朝も、そう念押しされていたあかねは、躊躇します。

「……ごめんなさい。薔薇は受け取るなって、言われているの」
「あの、だったら、だったらせめて、香りだけでも……」
 そう言って、あかねの鼻先に薔薇が差し出されました。
 反射的に、匂いを嗅ぎます。
 その時でした。

 ばふん

 まるで花粉を撒き散らしたように、薔薇の中から粒子の細かい何かが噴射されたのです。
 驚いて息を呑みます。それと一緒に、粉も吸い込んでしまいます。
 なんだろう、これ。
 そう思ったときにはもう、あかねの意識は遠のいていました。

「毒粉を使ってしまった……」
 ドキドキしながら、五寸釘は呟きます。
 今度は連れて帰らなければ。
 実はそのために、手押し車を用意してきたのです。ところが──
「し、し、しまったぁぁ。扉の向こうに倒れているー」
 何度か体当たりをしてみたけれど、扉は壊れそうにありません。
 小人の家のくせに、意外と頑丈です。
 そうこうしているうちに、人の声が聞こえ始めます。また、小人が帰ってきてしまったのです。
 フードを目深に被りなおし、五寸釘は逃げました。


「──なんだ、あいつ」
「お客さんからしら?」
「でも、留守番にはあかねさんがいるはず……」
「まさか──!?」
 小人たちは、足をもつれさせながら家へと走りました。扉には鍵がかかっています。戸締りをしておけ──と言っておいたからでしょう。けれどこんな時は、とてももどかしく感じられました。かすみが鍵を取り出してやっと扉が開き、家の中へ飛び込んだ乱馬が見たものは、土間に倒れているあかねの姿だったのです。


   *


 翌日から、小人たちは交代で家に残ることにしました。
 やって来るのが誰なのか。
 そして、その誰かの狙いが自分達だとしたら、あかねを危険にさらすわけにはいかないからです。
「すみません、あたしのせいで……」
「あかねさんのせいじゃないわ、これは私達の問題なんですから」
 かすみが微笑みます。
 優しい笑顔に、あかねもほっとした気分になりました。そんな時、戸口でノックをする音が聞こえました。かすみは身構えることなく、「あら、誰かしらね」と、のほほんとした調子で向かいます。
 まるで危機感がありませんでした。

「はい、どちらさま?」
「あれ? あ、あの。あかね、さんは……」
「あら、あかねさんのお知り合いだったの? ごめんなさいね、あかねさん、昨日からちょっと具合が悪くって」
「そ、そんなっ!?」
 自分で毒をまいておきながら、五寸釘はショックを受けます。
 でも、小太刀には逆らえません。
 こうなったら、この小人達も巻き添えで死んでもらおう。
 そうすれば、あかねさんも一人ぼっちじゃないんだし。
 無理やりそう考えると、五寸釘は大八車から野菜を取り出すと、かすみに見せたのです。

「あの、お野菜などいかがでしょう? こんな場所ではお店もないでしょうから、なかなか大変なのではないかとっ」
「まあ、ご親切にありがとうございます。でも、うちでは家庭菜園がありますから、野菜には不自由していないんです」
「──あ、そうですか」
「ええ。──あ、いけない。お鍋かけっぱなしだったんだわ。ごめんなさいね、それじゃあ」
「あ、あの──」
 バタン。
 戸は閉まりました。
 再度ノックをしようと思いましたが、背後からは小人たちの声が聞こえます。
 五寸釘は逃げ出しました。


「かすみぃ、妖しい人は来なかったかね」
「ええ、お野菜を売りに来た方がいらしたけど、妖しい人は来なかったわ、おとうさん」


 翌日は、なびきが居残りでした。あかねが見ている前でなにか書きつけています。
「あの、なにしてるんですか?」
「出納帳」
「水筒?」
「言っとくけど、水の筒じゃないわよ。お金の出し入れ」
「ああ、経理のお仕事ですか」
「仕事じゃないけどね」
 顔を上げずに、熱心に計算しています。
 邪魔になると思ったあかねが、せめてお茶でも入れようかと思った時です。
「あ、あの〜、ごめんくださ〜い」
 なびきが立ち上がり、戸口へ向かいます。
 後を追おうとしたあかねを手のひらだけで留めて、なびきは尊大な態度で言いました。
「誰?」
「あ、あのぉ。行商の者なんですが……」
「行商?」

 興味を引かれ、なびきは戸を開けました。
 森では手に入らない、珍しい物があるかもしれません。
「なにがあるのかしら?」
「あ、はい。えーっと、お美しいお嬢様たちにピッタリのお品があるんです」
 そういって、いくつかの宝石を取り出しました。
 といっても、ただの宝石ではありません。中に毒素を封じ込めてあるもので、手に取ってしばらくすると、毒が身体にまわって死んでしまうというシロモノなのです。
 なびきの目が輝きます。それを見て、五寸釘の顔も輝きました。
 なんだか上手くいきそうです。やっぱり女性には宝石類が一番いいようです。
 さすがにタダで渡すとなると、物が物なだけに妖しいと思われそうだったため、お手頃価格な値段を言ってみることにしました。もともと王室から提供されているものですから、安く売り飛ばしたところで彼の懐は痛みませんし、この程度の宝石のひとつやふたつなくなったところで、王室としても痛くもかゆくもないことでしょう。ところが──

「──高いわね。もうちょっとまからないの?」
 ズバリ、なびきは言いました。
「それにね、必要のないものをわざわざ買う主義じゃないのよ。訪問販売の宝石だなんて、一番タチが悪いわ。どれだけぼったくられるかわからないじゃないの。ちょっと、あんた。日当いくら? 歩合制?」
「……え、いや、あの……」
「ちょっと貸しなさいよ」
「──あっ」
 なびきは五寸釘から、石を奪い取りました。いつの間にか手袋を装着しています。どこから取り出したのでしょうか。さらにルーペを取り出して検分しはじめます。
「研磨が荒いわね。曇りもあるし、仕上げはイマイチだわ。これ、一度割ってくっつけてない?」
「ぎくり」
 国一番の鑑定士もちょっとやそっとじゃ見抜けないぐらいの仕上がりのはずなのに、あっさりと見破りました。一体、何者なのでしょう、この小人。
「もっと、これぞっていう一品を持ってらっしゃい。甘いわよ、あんた!」
 ドン。
 ピシャン。
 外へ突き出され、背後で無情にも戸が閉まります。
 もう、追いすがる気力もありませんでした。
 ──こ、恐い。
 五寸釘は小太刀の元へ、報告に向かいました。


「なびき。不審な奴は来なかったかね?」
「胡散臭い訪問販売が来たから、追い払ってやったけど、それぐらいよ」
「そうか、さすがはなびきだなあ」
「任せてよ。はい」
「──なんだい? この手は」
「お駄賃。危険手当も貰わないと割りに合わないわ。恐かったんだから」
「……………………」










 
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