Snow White Chapter 6  暗き闇のベール
 

 こうなったら最終手段です。自らの手で実行するしかありません。
「見てらっしゃい、あの娘っ」

 小太刀は自室に篭って、毒を仕込んだリンゴを作り上げました。それを籠に盛り、黒いロングコートを羽織り、お忍び用頭巾を被り馬車に乗って出かけます。案内役の五寸釘が言った場所の手前で馬車を降りると、小太刀は颯爽とコートを翻して小人たちの家へと向かいました。
 さて、そんな魔の手が迫りつつある小人族の家。
 本日の留守番役は乱馬。部屋を横取りする形になって以来、すごく疎まれているように思えて、あかねは正直この男の子が苦手でした。今もこうして同じ部屋にいるけれど、何を話していいのかわからないし、相手も何も言いません。むすっとした顔で、とても不機嫌そうです。
(どうしよう……、イヤだなぁ)
 あかねは内心、ため息をつきました。
 そんな乱馬くんですが、別に不機嫌というわけでもなかったのです。
 彼もまた、何を話していいのかがわからなくて非常に困惑し、その結果何も言わず──言えずに座っているだけなのです。
 彼にとって「人間」とは、悪意の塊でした。森を荒らしたり動物を殺したり、小人族をまるで変な生き物のように追いまわしたり、さらには殺そうとしたり。
 とにかく、敵なのです。図々しい輩なのです。
 でも、この人間は今まで見た人間とはちょっと違っています。
 まず第一に性別が女だし、身体も今まで見た「人間」の中では小さい方でしょう。
 澄んだ綺麗な声をしていて、なにかにつけて嫌味っぽいなびきや、おっとりしたかすみとはまた違っています。家族みんなで話していても、不思議と「あかね」の声はよく響いて聞こえるのです。──まあ、身体が大きいから、当たり前でしょうが。
 それに顔も違います。
 今までいかつい男の顔しか見たことなかったから、余計にそう感じるのでしょう。艶々の黒い瞳は時々キラキラ輝き、まるで星空に浮かぶ一等星みたいです。
 いつも申し訳なさそうな顔ばかりしていますが、時々のどかに見せる表情はとっても穏やかで嬉しそうで、ちょっとビックリする時があります。あまりに驚きすぎたせいなのか、心臓がドキドキするのです。微笑みあっている二人を見ると、悔しいようなずるいような、なんとも複雑な気持ちになったりします。

 母親を取られて嫉妬しているんだろうか。
 んなわけねーだろ。
 自分で自分にツッコミを入れながら、自問するのがここ最近だったりするのです。
 こんな風に色々考えたりするなんて、今までありえなかったことです。普段なら日々のことに惑わされたりせずに、大好きな格闘技に夢中になっているはずなのに。あかねが来てからというもの、なにもかもが狂いっぱなしです。
 家のみんなも、あかねを中心にして動いている気がします。
 すべて、「あかねのために」と考えているのです。
 それに感化されるように、自分までもが。

「──キャッ」

 あかねの声が聞こえて、乱馬は我に返りました。
 声の方を見ると、あかねがまたも申し訳なさそうな表情で床を見つめていました。
 つられて下を見ると、小さなティーカップが割れていました。どうやらお茶を入れようとして、落としてしまったようです。

「あの、ごめんなさい……」
 乱馬の視線を感じたあかねは、ずんと落ち込みました。
 一体何度目でしょう。この家に来て、毎日のように何かを壊しています。さすがに謝って終わりに出来る回数ではなくなりつつあります。もう小さな子供でもないのですから、いつまでも「ごめんなさい」で済むわけがないのです。
 だからといって、どう言っていいのかわからなくて。乱馬の視線が痛くて、あかねは黙りました。
 そんなあかねの様子に乱馬はイライラします。
 自分はこんなに色々悩んでいるというのに、あかねは呑気にお茶を飲もうとしている。
 自分がこんなに頭を悩ませたり考えたりしているのは、全部あかねのことなのに。
 それなのに、ああ、それなのに。
 あかねはまるでお構いなしなのです。
 乱馬は、むしゃくしゃして言いました。

「なにやってんだよ、ほんとに不器用な女だな。おめーが来てから、このうちはめちゃくちゃになるし、みんな忙しいのにおめーのせいで留守番とかしなきゃなんねーし、それにおれだって──」

 そこで止まります。
 おれだって、なんなのでしょう。
 またわからなくなりました。
 ぐちゃぐちゃしてきて、そんな気持ちをあかねにぶつけてしまったのです。

「おめーがここに来てからおかしくなったんだ。おめーが来なかったら今まで通りだったのに、みんなおめーのことばっかりに気取られてるし作業進まねーし、なんかもうむちゃくちゃなんだよ」

 言っている本人がもうむちゃくちゃです。
 乱馬はホウキとちりとりを持つと、割れたカップを片付け始めます。
「どけよ、おめーみたいなでっかいのがいると邪魔だろ。さっさと出てけよ」
「…………ごめん、なさい……」
 あかねは逃げるようにしてその場を去りました。
 乱馬は驚いて顔を上げます。
 あかねの声が、今までに聞いたことがないぐらい哀しみに満ちたものだったからです。
 急速に頭が冷えていくのがわかりました。
 熱かった身体が、爆発しそうだった頭の中が、段々と落ち着きを取り戻していきます。
「……べ、別におれが悪いわけじゃないんだかんな」
 誰も聞いていないのに、そんなことを呟きます。
 言わずにはいられなかったからです。
 黙ったままだと、今度は頭と胃の辺りが重くて重くて、そのまま潰れてしまいそうな気がしたからです。
「──っ」
 指先に痛みが走りました。割れたガラスで手を切ってしまったようです。
 ぷっくりと盛り上がる血を見ながら、「人間」にも同じように赤い血が流れているんだろうかと、ぼんやり考えます。切れた指よりも、傷ついた心が痛いのは、「人間」も同じなのでしょうか──



   *



 小太刀が歩いていると、なんと向こうから女の子が歩いてくるではありませんか。
 鏡が──、あのいまわしき真実の鏡がよく映し出してせいで覚えてしまった、にっくきあかねです。

 チャンス到来。
 さすがは私、ついてますわ。

 小太刀はすっくと胸を張り、堂々とあかねに近寄りました。

「ちょっとお待ちなさい、そこのあなた」
「はい、なんでしょうか」
「──な、なんですかその顔は」
 あかねは青ざめた顔をしていました。
 別に小太刀が殺さなくても、そのうち消沈して死にそうな顔でした。
 こんな顔をした娘に私は負けるというの!?
 小太刀は怒りのあまり、クラクラします。けれど表情には出さずニッコリと笑ってリンゴを取り出して見せました。
「お嬢さん、ひどい顔をなさっておいでだわ。なにがあったのか知りませんが、この私がいいものを差し上げましょう」
「いいもの、ですか?」
「そうです。御覧なさいこのリンゴを。色、艶ともに完璧なる芸術です!」
 たしかにそれは、とっても素晴らしいリンゴでした。
 一袋いくらで売られているような物ではなく、化粧箱に入って売られていそうなリンゴです。
 美味しそう。とってもいい香りもします。甘酸っぱいいい匂いです。
 野菜は畑で作れるけれど、木に生る果物はさすがに無理なのよね──と、かすみが言っていたことが思い出されます。かすみやのどかがこれを見たら、どんなに喜ぶことでしょう。

 おめーが来てからめちゃくちゃなんだよ。

 乱馬の声がよみがえりました。
 そうだ。あたしのせいだ。
 あたしのせいで、小人さん達にどれだけの迷惑をかけたんだろう。
 みんなは何も言わなかったけれど、きっと内心では疎ましく思っていたに違いありません。
 それに気づかないで居座っていた自分は、なんて図々しいのでしょう。
 最後に、せめて「ありがとう」の気持ちを伝えられたら。
 今までお世話になったお礼もせずに去ることは出来ません。

「あ、あの……、そのリンゴ、売っていただけるんですか?」
「──え? も、勿論ですわ」
 黙りこくっていたと思ったあかねが急に発言したので、小太刀はちょっと焦ります。
 リンゴを食べさせるのは失敗かと思っていたけれど、どうやら風向きが変わったようです。
「おいくらですか? あの、あたし、あんまりお金は持ってなくって……」
「結構です。あなたからお金を貰おうだなんて思っておりませんわ」
「え? じゃあ、どうすれば……」
「ですから、差し上げますと申したでしょうに。気に入らないわけはないと思いますが、味見なさってはいかがかしら?」
 そう言って小太刀は果物ナイフを取り出すと、リンゴを半分に割り、片方をあかねに渡しました。
 割れたリンゴの面は、とても瑞々しい輝きを持っています。リンゴ特有の仄かな酸味と、それを緩和するような甘味が鼻をくすぐります。本当に美味しそうなリンゴでした。
 お茶を飲みそびれていたあかねは、とにかく一口かじります。サクっと噛むと、とってもジューシーな味わい。果汁が嗄れた喉を通り、「やっぱりおいしいわ」と思った時でした。
 喉が焼けるように痛くなったのです。続いて急に息がつまり、呼吸が出来なくなりました。
 なんだろう、これ。
 頭の中で疑問の声が響きます。

 苦しいくるしいクルしいクルシいクルシイ

 目蓋の裏側に光が見えました。
 眩しくて眩しくて、だけどそれは目の裏側にあるのです。
 どんなにきつく目蓋を閉じても、輝く光を遮ることはできません。
 口をあけてもがいても、新鮮な空気はやってこない。
 満たされない。
 膝をつき、喉をおさえ、前のめりになっても。
 頭が、重いの、です。

 リンゴを、あげたい。

 いいえ、違います。そうじゃないのです。
 渡したいのはリンゴじゃなくて、気持ちです。
 ありがとうの気持ち。
 そしてそれ以上の気持ち。
 嬉しい気持ち、幸せだった気持ち、そこにいるだけで温かくなれた気持ち。
 ずっとずっとこうしていられたら、どんなにいいだろう。
 どうして私は「人間」で、彼らと違うんだろう。
 どうして私も「小人」じゃなかったんだろう。

 どうしてみんなと同じ場所に生まれてこれなかったんだろう。


(……あたし、死ぬの、かな……)

 飽和状態の頭で、ぼんやりとあかねは思いました。
 死という言葉は、もう恐怖ではなく安らぎに思えました。
 すぐそこにある世界。  もしも生まれ変わりがあるんなら、今度は小人さんなりたいな。
 あかねが「意識して」考えたことは、それが最後でした。


「やりましたわ。最初からこうすればよかったのです」
 倒れたあかねを見下ろして、小太刀は微笑みます。
 そこはかとない満足感が胸に湧きあがりました。
「これで名実ともに私が一番美しい人です。オーッホッホッホッホッホ」

 ざわざわざわざわ──

 風が巻き起こり小太刀の髪を、マントを揺らしていきます。黒薔薇を撒き散らしながら、小太刀はその場を去りました。
 高らかな笑い声だけがただ、木々に木霊し反響していました――












 
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