Snow White Chapter 8  主と掟
 

 彼は、死んでいました。
 かなり打ち所が悪かったようです。
 沈黙が支配しました。
 たしかこの男は、「王子」だと言いました。
 一国の王子を、事故とはいえ殺害したとなったら、極刑は逃れられないでしょう。
 小人たちは思いました。
 早いこと、始末しよう。
 そういう意味では、ひどく団結力のある家族でした。
 ざっくざくと男三人が穴を掘り始めると、女性三人はテキパキと周囲を片づけ、証拠隠滅を図ります。あかねの見ている前で、鮮やかな犯罪が行われていました。
 どうしていいものやら。王子のことはよく知らないので──なにしろ、あかねはついさっき目覚めたばかりなのですから──、どちらが正しいのか、よくわからなかったのです。


「なにをしておる」
「なにってそりゃ森の主にバレないように、早く始末を──って、うわあ」
 早雲が雄叫びをあげました。
 あかねは声の方を振り返ります。
 けれど、そこには誰もいません。不審がるあかねの前で、大木に幾つかの裂け目が出来ました。まるで、人の顔のように見えます。裂け目のひとつ──横に大きく裂けた割れ目が動いて、声が響きました。 

「どうにも騒がしいと思っておったら、ついにはそんなことまでしておったか」
「──木がしゃべ、った?」
「木ではないよ、お嬢さん。今は木にいるだけじゃ」
 だからつまり、木が喋ってるんじゃないかと思うあかねでしたが、小人たち──こと、早雲と玄馬は地面に平伏しています。
「申し訳ございません、主様」
「主様?」
 あかねはじっと木を見つめます。
 触ってみました。
 叩いてみました。
 拳を打ち込もうとしたところで、本人に止められました。

「やめてくれんかの……、人間のお嬢さん」



   *



 一通りの話を聞いた木──もとい森の主は言います。
 すべては、偶然が重なった出来事であり、その偶然によって繋がっていく流れは、止めようとしても止められはしなかったであろう。
 人間が森へ来たのも偶然。
 その人間が導かれるように小人族の家に来たのも偶然であり、
 その家が立ち退き寸前の、付近に残っている最後の家だったことも偶然なのです。
 偶然が繋がれば、それは必然にもなります。
 次々にやって来る「あかね」を狙った誰かを撃退することができる小人族が残っていて、
 そのおかげで、「あかね」の上にあった、死の運命は別の方向へと転じた。
   不運は幸運へと転じたのです。

「そして、おまえさんがすべきことはひとつであって、ひとつでない」
「……どういうこと、ですか?」
「今からの未来は、ふたつの道に分かれておる。選ぶがよい」

 森を出て、別の国で自由に暮らすか、運命を肩代わりした形になる王子を、元の運命に戻すのか。
 それはつまり、生きるか死すかの選択でした。
 あかねは考えます。  小人の家に戻ってきてからも、ずっとずっと考えていました。
 王子の運命を正すのであれば、あまり遅いと困ります。
 あかねに与えられた選択の時間は、夜明け前まででした。
 乱馬は、そんなあかねを見ながら、声をかけようとしては止まりかけようとしては止まり。
 結局、何も言うことは出来ませんでした。
 言葉を見つけることができないのは、他のみんなも一緒です。
 すっかり娘が出来た気分でいた大人たち、大きいくせになんだか頼りない、妹みたいに思えていたかすみやなびき。
 いつの間にか、「あかね」がいることが当たり前のような気がしていたのです。どちらを選択するにしても、あかねにはもう会えなくなります。そのことが、とても寂しく感じました。
 みんな揃っての最後の晩餐だということで、その日の夕食はとっても豪華でした。
 とても楽しい晩餐でした。
 わかっているから口にはしません。
 寂しくなるから、口にはしたくありません。
 あかねが別の国で元気に暮らして、ここでの生活を思い出してくれたなら。
 それはとても幸せなことだと、小人たちは思ったのです。
 あかねが新しい場所で暮らすように、自分たちももうすぐ森の別の場所へと移住します。
 そのために、今日までずっと引越し準備を続けていたのです。
 もうすぐ移住できるようになるだろう──という時にあかねがやってきたこと。
 それもまた主の言うように「運命」だったのでしょう。
 そして、自分達にとっての「幸運」でもあったのだと思いました。
「あかねさんと我らの前途を祝してー、かんぱーい」

 揺れるランプに照らされて、七つの影が躍っていました。




 大きな月が漆黒の空にかかる中、あかねは小人の家を抜け出しました。家人を起こさないように、そっと――

「もう行くのかよ」
「……乱馬」
「挨拶もしねーで出てくのかよ」
「──ごめんなさい」
「謝れなんて、言ってねーだろっ」
 どうも、あかねを相手にすると調子が狂います。
 本当はこんな風に、責めるような言い方をするつもりなんてないのに。
 沈黙を破ったのは、あかねでした。
「あたし、行くね」
「──ああ」
「皆さんに、宜しく言っておいてね」
「──ああ」 「ありがとうって。あたし、ここに来られてよかったと思うんだ。例え仮初めの居場所だったとしても、よかったって思うの。乱馬には、迷惑ばっかりだったけど……」
「──んなこと、別に、思ってねぇ」
 口に出してはみたものの、急に照れくさくなって、言葉は尻すぼみです。
 驚いたような顔をしていたあかねでしたが、乱馬の様子を見て頬が緩みました。
 そうだ、きっとそうなんだ。
 きっと乱馬は、単に素直に口に出していえないだけで、本当は別に怒ってなんてなかった。ただ、言い出しにくくて、口下手だから言えなかっただけで。
 ただ、それだけだったんだ。
 あかねは嬉しくなりました。
 ずっとずっと嫌われていると思っていたから。
 疎まれていたわけじゃなかったんだとわかって、心が少し軽くなりました。

「よかった。最後にいいことがわかって」
「いいこと?」
「ううん、いいの。なんでもないよ」
 乱馬にいうと、きっとまた「そんなわけねー」とかなんとか言って誤魔化してしまうに違いありません。
 あかねは何も言いませんでした。
 もう、これで平気です。
 たくさんの思い出があれば、きっと恐くはないでしょう。
 だからかわりに言ったのです。

「元気でね。さよなら」






 そうしてあかねは、木々の闇に消えました。
 あかねを見送って、乱馬はまだそこに立っています。
 大きいやつがいなくなったから、だからこんな風に空虚に思えるんだ。
 ぽっかり穴が開いたみたいに思うんだ。
「──なんだよ、勝手に来て勝手に帰りやがって……」
 なにをするのもあかねの自由であるとは思いつつも、そんなことを口にしてみます。
 なんだか、悔しかったからです。
「なにが、さよならだよ。どこかでまた会うことだってあるかも──」
 言いかけて、止まりました。
 そうです。
 あかねは言ったのです。
 さよなら、と。
 またね、じゃなくて。さよならと、そう言ったのです。
 もう会う気はないということでしょうか。
 それとも──

「……まさか、あいつ」





「お嬢さん、決まったかの」
「はい」
「後悔はせんかの」
「決めましたから」
「宜しい。さて、どうなさるかの?」
「王子様を助けてください。王子は国にとって必要な御方です。肩代わりしてくれた私の命と幸運を、彼にお返しします」
「お嬢さん自身が、どうなってもか?」
「はい。私にはもう、帰る場所はありません。ならばせめて、今まで生きてきた国に恩返しをしたいと思います」


 あかねは主様に促されるがままに、膝をつきます。
 王子の胸に手を乗せて、瞳を閉じました。
 文字にも言葉にも表しようがない、不思議な響きの言葉を、森の主が唱えます。

 あかねはただ祈りました。
 あかねはただ思いました。
 あかねはただ願いました。

 あきらめたはずのことを、
 求めてはいけないことを、

 もしもなにかひとつ願いが叶うならば。
 みんなと一緒に暮らしたい。



 身体が熱くなってきました。
 吐き気もします。
 圧縮されて、締めつけられるような感覚がやってきました。
 キリキリとねじまげれている気すらします。
 耳鳴りと頭痛と、身体中が軋みあげて、
 もう痛いのかどうなのかすら、わかりません。

 ――幸運を


 厳かに主の声がしたのを最後に、あかねの姿は消えました。













 
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