蜂蜜たっぷりのトーストで −4−
蜂蜜たっぷりのトーストで




<4>


「ただいま」
「あら、早かったわね」
「おかえりなさい、あかねちゃん」

 玄関を開けると、二人の姉が立っていた。あかねは少し怯んで、立ち止まる。
(なんでそんな待ち構えてたみたいに立ってるのよ、もう)
 向けられる視線がなんだか痛くて、下を向いたままで靴を脱ぐ。
「……どうかしたの? あかね」
 不審に思ったのか、かすみが問い、次いでなびきがこう言った。
「あんた、また喧嘩したの〜?」
「してないわよ、別に!」
「つまり、仲直りしてこなかったってわけね」
「べ、別に、仲直りするために行ったわけじゃないもん。あたしはただ……」

 ただ、頼まれた荷物を届けに行っただけ。
 目的はそれだったんだから、文句を言われる筋合いなんてないはずだ。
 そう思うのになんだか居たたまれない気持ちになるのは、あかね自身、結局は期待していたからなのだろう。
 何をどうこうというわけじゃなく。
 そんな特別なことじゃなく。
 ただ――。

 そう、ただ。乱馬に会って。話をして。
 いつもみたいに、なんてことのない会話をしたかった。
 それが例え、喧嘩の続きであったとしても、構いはしなかったのだ。
 わかっている。
 シャンプーや右京がいたのだって、別に乱馬が呼んだわけじゃないことぐらい。
 天道家を出て、早乙女家として暮らし始めたことを知った彼女達が、勝手に押しかけたんだろうことぐらいわかっていた。思い込んだら一直線。真っ直ぐに、自分の気持ちのままに行動する彼女達だから、遅かれ早かれああなっていただろう。それがたまたま、自分が行った時間に重なってしまっただけ。
 だけど、どうしてなんだろう。
 どうしてそんな風に最悪のタイミングでかちあってしまったりするのだろう。
 素直じゃないから。
 だから、神様が意地悪をしているんだろうか。
 素直に行動する三人には救いの手を。そして、意地を張って重い腰を上げれらない自分には天罰を。

「――かねちゃん?」
「あ、なに?」
「なにか、あったの?」
「やだな。なんでもないよ。外、すっごく暑かったから、なんか疲れちゃった」
 帽子被っていけばよかったのにね。
 そう言って笑うあかねを見て、姉達は溜め息をついた。




 *



「あかねちゃん、どうしちゃったのかしらね?」

 本当にわかっていないのか、どうなのか。
 どちらかというと後者な気もしないでもないまま、乱馬は生返事でそれに応えた。
 この台詞が天道なびきから発せられたものだとしたら、それはもう最大限の嫌味であるのは確実だし、それに対してそれ相応の言葉を返すことだって出来るけれど、母親が相手だとどうにも調子が出ないのは一体何故なんだろう?
 パンダ姿のままで茶碗飯をかきこむ父と、「あなた、ビールは?」とこちらも何の違和感もないままに接している母を見ると、家族のくせに自分だけがはぐれているようなそんな気になって、乱馬は気づかれないようにため息をついた。

 家族とはなんなのだろう?
 離れていても家族は家族。
 遠くにいても繋がっているんだ。
 ホームドラマにありがちな言葉が浮かぶけれど、どれも絵空事に思える。そもそも自分には「家族」という概念が薄かったのだから。
 物心ついた折には、父と二人っきりであちこちを放浪していた。
 父親と自分。
 それが世界の全てだった。
「母親」というものが存在してることを知ったのは、いつのことだっただろう?
 知ったところで、自分にはあまり関係のないことだと思っていたし、年齢が上がるにつれて、「このちゃらんぽらん親父のこったから、どーせ逃げられたんだろう」と、判断を下した。そういえば、改めて訊ねたことなどなかったことに、今更ながら気がついた。それぐらい、意識が薄かった証拠だろう。
 そんな自分が「家族」というものを、他人事でなく、嘘じゃない、現実的な事柄として知覚したのは、紛れもなく天道家の存在だ。同じように母親はいないけれど、それに成り代わる存在がいて、少々変わってはいるものの、道場を構える家長がいる。一筋縄ではいきそうにないものの、それなりに仲のよい三人姉妹。
 親一人、子一人で生きてきた自分には、よくわからない世界だった。
 物珍しさに無意味に感動しては、あかねには変な目で見られたものだ。
 どういう行動を取ればいいのか、微妙に距離を測りながら暮らしていた日々も、積み重なっていくことによって自然なものへと変化する。今日、あかねによって強引に届けられた洗濯物も、そのひとつ。家族であった象徴だ。
 同じように──。
 かつて天道家の中で積み重ねてきた日々と同じように、この早乙女家でも一日一日が重なり合って、いつかなんてことのない生活になる──、
 なっていくのだろう。
 なんとなく重い気持ちでそう結論づけた後、乱馬は気づいた。
 気づかなければよかったと思ったけれど、それはあとの祭りだ。

 どうして気が重く感じるのか。
 どうして前向きに考えられないのか。

 それは、今の自分が一人だからだ。

 父にしてみれば、切腹の恐怖もなく、やっと家族で暮らせる安泰な日々が嬉しいに違いない。これまで以上に、のんびりと暮らすつもりなのは、パンダ姿で腹をボリボリと掻いている姿からも明白である。
 父にしてみれば、「取り戻した生活」だから。
 喜びこそすれ、緊張を強いられることなどたぶんないだろう。
 だけど、自分は違うのだ。
 名前を偽った状態で何度となく話をしたことはあれど、事実を把握している自分達はともかく、のどかにしてみれば、あくまで「知り合い」の域を出ない状態だった。親しみの中にある感情は、身内のソレに対するものと微妙に異なるに違いない。
 天道家での生活。
 父と一緒に転がりこんで始まった生活。
 けれど学生である自分と時間を共有するのは、父ではなく娘達の方で。
 同い年で、さらに同じクラスになってしまったあかねと一緒に過ごす時間の方が長くなり。

 そうしていつしか、それが当たり前になった。

 何かを始める時も、何かを見る時も、何かをする時も。
 あかねと共にあることが、だんだんと増えた。

 だけど、今。
 ここでの「はじまり」に、あかねはいない。
 あかねと一緒であることが当たり前だったはずなのに。
 ここで築いていく新しい何かを共にする対象は、隣にいないのだ。


 そのことがふと、とてつもなく大きな損失であるように、思えた。



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